NHKの「看板番組」が帰ってくる
NHKがかつての看板番組「プロジェクトX」を18年ぶりに復活させる。
「プロジェクトX」といえば、今もしばしば「チコちゃんに叱られる!」の正解VTRでパロディーにされるなど、馴染みがある。
「『戦後復興』から『高度成長』をメインテーマに、日本が戦後の焼け野原から先進国の仲間入りを果たすまでの物語」は、中高年の男性を中心に広く支持を集めた。日本PTA全国協議会のアンケートによれば、「子どもに見せたい番組」の1位にも選ばれており(*1)、国民的番組だったと言えよう。
黒四ダムや青函トンネルといったインフラ整備から、あさま山荘事件に至るまで、戦後日本の歴史と、それを支えた人たちの物語は、NHKらしからぬ煽り気味の演出とマッチした。
「~だった」と過去形で断言する田口トモロヲ氏のナレーションはモノマネの的となり、中島みゆき氏によるオープニング(「地上の星」)とエンディング(「ヘッドライト・テールライト」)両方の楽曲も売れた。
今回のシリーズでも、田口氏がナレーターを務め、中島氏の曲はそのまま使われるし、わざわざ18年ぶりに復活させるというのは、時代錯誤と受け取られるかもしれない。
内容も「今回主に光を当てるのは、バブル崩壊以降の『失われた時代』」である以上、ノスタルジックな雰囲気満載の、過去を美化する番組なのではないか、との危惧が高まりかねない。
しかし、本当にそうだろうか。
「プロジェクトX」復活の理由を探るために、まず考えたいのは、「失われた時代」という表現についてである。
*1「朝日新聞」2005年5月18日朝刊
「新プロジェクトX」が光を当てる「失われた時代」
「失われた」ものとは何か。
GDPは世界2位から4位に転落し、円の価値は安い水準に留まっている。日本銀行はマイナス金利政策を止めたとはいえ、政府によるデフレ脱却宣言はまだ出ていない。少子高齢化が進み、人口は減っている。
数字を見れば、国の富や、円の価値、人の数、といった、お金にまつわるさまざまなものは、確かに「失われた」のである。
注目すべきなのは「失った」ではなく、「失われた」という受け身の言い方である。ここには、失おうと思ったわけでも、過った=過失でもなく、奪われていった、そんな被害者感情が込められているのではないか。
デフレになった理由を人口減少に求める説はあるものの、その原因を明快に解き明かした定説は、どこにあるのだろう。
ただ、筆者は経済学の専門家ではないし、ここでは、そうした「失われた時代」そのものを話題にしたいのではない。かといって、やはり日本はスゴイ、と居直りたくもない。それよりも、「失われた」との受動態であらわされる時代とは何だったのか、に注目したいのである。
「失われた10年」が広まった時代こそ、まさに「プロジェクトX」が放送を始めた2000年ごろだったからである。