「国公立至上主義」は40年前から変わらない

振り返れば、筆者も、はるか昔、高校3年次の進路指導で、早稲田大学志望であったにもかかわらず、担任の教員に「近くの国立大学も受けるのが条件」と迫られ、「先生がお金を出すから」とまで言われた苦い思い出がある。

それから約40年が経過した今も、同じように「国公立大学至上主義」的な進路指導が行われているのは、ある意味、衝撃的なことだ。

また、国公立大学への合格者を増やそうと、生徒が実際に受験する国公立大学のランクを、本人の志向など関係なく、難易度では下位の国公立大学へと強引に下げさせるケースも数多い。

それぞれ、「国公立大学への評価は高い」や「無理をして浪人はすべきではない」などの理由はあるのだろうが、多くの生徒は従わざるを得ないため、一つ間違えば、高校の進路指導によって、無難な線に落ち着かされてしまうリスクもある。

高校の進路指導だけに任せるのは危ない

埼玉県内や茨城県内の公立高の校長に話を聞けば、教員の評価は、担当するクラスの子どもを何人国公立大学に合格させたかで決まるわけではないという。昇進や昇給にも影響を与えないと口を揃える。

それは事実だとしても、先に述べたような高校では他校と国公立大学の合格者数を競い、教員間では「国公立に入れてナンボ」の固定観念が今もなお息づいていることも事実である。

もちろん、生徒本位で熱心に指導されている教員もいる。そういう方々にはお叱りを受けるかもしれないが、ドライな表現を用いれば、高校の担任教員や進路指導の担当教員の多くは、子どものこれからの人生に関わることなどまずない。

定期試験や模試の成績のような一過性の学力と、所属する高校の方針に基づいてアドバイスをしているだけだ。その教員自身、民間企業などを経て教員になった人を除けば、学校という狭い世界しか知らない。

つまり、子どもの進路を見誤らないためには、高校の進路指導だけに依存しないことが重要になるということだ。言い換えれば、子どもと密接に関わってきた保護者が「進路リテラシー」を持つことが大切なのである。