日本には各都道府県に名門高校がある
日本の初等中等教育は、世界トップクラスと言えるだろう。近代日本において、全国のどこで生まれても、地元の各都道府県に名門高校があり、良質な高校教育を受けることができることは、国力の源泉となってきた。
江戸時代の教育制度が、近代化の礎になったというのはまったくの俗説だ。江戸時代の学校制度は西洋と比べてもだが、中国のような「科挙」がなかったこともあり、お粗末だった。天保年間(1831~45年)になってようやく藩校が出そろったが、漢学の基礎を教えていただけで、上級武士以外が学べる中等教育機関はほとんどなかった。
明治新政府は、なにもないところに、西洋でも最新式の学校制度をつくり上げようとし、まず、全国津々浦々に小学校を設置した。
大学レベルは、海外へ留学生を送ることが主眼で、その準備の語学教育をする中等教育機関が各地の実情に応じて生まれた。そのほか、小学校の先生を養成する師範学校は、比較的まんべんなく各地に生まれ、旧制中学も師範学校特別科としてスタートしたものが多い。
中学校令で「尋常中学47校」が誕生
明治期中ごろになると、帰国した留学生が大学で教えるようになり、そこを受験するための中学校が乱立した。そこで、1886年になって第一次中学校令が出され、各府県一校ずつの尋常中学に集約した。
このときは、「○○県尋常中学校」という名称だったわけだが、徐々に二番目の中学ができてくると、「○○県第一中学」と呼ばれることが多くなった。どこの府県でもナンバースクール的な呼び名が採用されたわけでなく、たとえば、兵庫県尋常中学は1886年に神戸に二番目の尋常中学ができたことにより、兵庫県姫路尋常中学校と改称した。現在の姫路西高校である。
ただ、この1886年に県尋常中学校として設立された学校が原則、どの都道府県にもあるわけで、それが一中的なものであることは間違いない(北海道や沖縄などは遅れ、北海道には現在の札幌南と函館中部が同時に設立された)。
そして、その多くが現在も名門校として、国内外で活躍したり地域社会の中核となる人材を供給しているのだ。