現代社会はセロトニンを必要としている
最もポピュラーな精神疾患であるうつ病も、診断基準が拡大しています。今日のうつ病、アメリカ精神医学会の診断基準(DSM)でいうMajor depressive disorderという診断名には、20世紀以前にはさまざまだった病名、たとえば抑うつ神経症や反応性抑うつ状態に相当する患者までもが含まれています。
うつ病の診断範囲の広がりは、アメリカ精神医学会の診断基準であるDSMがバージョンアップする際に診断基準が変わっていった様子からも読み取れます(*6)。
加えてアメリカでは1980年代から、日本でも1999年からSSRIが発売されました。SSRIは脳内で利用可能なセロトニンを増やす抗うつ薬の一種で、それまでの抗うつ薬より安全で副作用も少ないことから広く使われています。
この薬が軽症〜中等症の患者の治療に果たした役割は大きく、うつ病のほか、多くの不安症、月経前症候群(Premenstrual Syndrome、PMS)などの治療にも使われています。
(*6)大前晋「『大うつ病性障害』ができるまで DMS-III以前の『うつ病』(内因性抑うつ)と現代の『うつ病』(大うつ病性障害)の関係」精神経誌 114(8), 886–905, 2012
過剰な診断と治療か? それとも…
結果、不安や恐怖、気分や感情についての幅広い領域が精神医療の対象に加えられました。加えられたのはSSRIのようなセロトニンを司る薬物が効果的な領域であり、ストレスに対して分泌されるホルモンを司っているHPA系(視床下部―下垂体―副腎系)の調節異常が見つかりがちな領域であり、HPA系の遺伝子多型がしばしば発見される領域でもあります(*7)。
精神医療が拡大していくなか、アメリカでDSMの改定に携わった精神科医の一人であるアレン・フランセスは、著書『〈正常〉を救え』(講談社)のなかで、診断と治療が過剰になり、抗うつ薬などが濫用される可能性に警鐘をならしました。
(*7)うつ病とセロトニンの枯渇については『カプラン臨床精神医学テキスト 日本語版第三版』メディカル・サイエンス・インターナショナル、2016、396頁が、HPA系の調節障害については397頁が簡潔にまとめられていて参照しやすい。パニック症は、生物学的にはアドレナリンの分泌調整やセロトニン系の機能障害が多数発見されている(同書、441頁)。社交不安症とHPA系についてはCondren RM et al: HPA axis response to a psychological stressor in generalised social phobia. Psychoneuroendocrinology. 27(6): 693–703, 2002 を参照