AI時代にビジネスパーソンにとって武器になるスキルは何か。教育改革実践家の藤原和博さんは、「AIを使いこなすことは重要だ。しかしAIにつながったスマホを使えば使うほど、人間は同じ道を通り、同じ店を選び、均一化していく。その怖さに気づくべきだ」という――。

ゴジラを倒した人間力

私たちはもう、AI以前の世界には戻れない。

ならば、AIを押しの強い友として見極め、ベストな距離感を身につけるのが得策であり秘策だ。意外にも、「ゴジラ」がそのすべを教えてくれる。

2024年アカデミー賞視覚効果賞となった山崎貴監督の『ゴジラ-1.0』(英題:Godzilla Minus One)。図らずも受賞は3月11日、13年前に東日本大震災が起こった日。

新宿・歌舞伎町の商業ビルの屋上に設置されたゴジラ像。第96回アカデミー賞で山崎貴監督の『ゴジラ-1.0(マイナスワン)』が視覚効果賞を獲得した(2024年3月11日、東京都新宿区)
写真=時事通信フォト
新宿・歌舞伎町の商業ビルの屋上に設置されたゴジラ像。第96回アカデミー賞で山崎貴監督の『ゴジラ-1.0(マイナスワン)』が視覚効果賞を獲得した(2024年3月11日、東京都新宿区)

『ゴジラ-1.0』は全編CGだった。もはや人間が着ぐるみを着て模型で作った都市を破壊する特撮の時代は終わったのだ。万が一にもジッパーが見えちゃったら興ざめになるからだろう。監督も、「もし現在の高精細撮影に耐えられる着ぐるみを作ったら、とんでもなく高いものになっただろう」と語っていた。

筋はネタバレになってしまうのでここでは明かさないが、印象的だったのは、最後にゴジラを倒すのが、波動砲でも戦略核でもなく、主人公が乗り込んだプロペラの戦闘機だったことだ。

しかも、のちに撮影秘話が明かされると、全編CGというわりには、戦闘機や船の甲板を部分的に現物で作り、それをスタッフがえっちらおっちら揺らして傾けたりしながら撮影しているではないか。完成した合成シーンには、まことにアナログな努力が満遍なく施されているのだ。まさに人間力であり、ここが象徴的なところだ。

AIは何の怪物か?

『ゴジラ-1.0』は何を象徴しているのか? この映画は、ウクライナ、パレスチナなどますますきな臭くなっている世界各地での核の脅威を訴えているのだろうか。あるいは、いざとなったら、政府もアメリカ軍も頼りにはならないという現実だろうか。それもあるかもしれない。

でも、私が感じたのは、ゴジラはそのままAI社会のダークサイドを表現してもいるのではないか、という印象だ。

AIがゴジラだとすれば、私たちはどうやって身を守ればいいのか。『ゴジラ-1.0』で東京は一部破壊されたが、無残な壊滅から救ったのは「アナログ技術」と、意外なことに「民間人の狂気」だった。

断っておくが、私はAIは恐ろしい存在だから使わないほうが良い、と言うつもりは毛頭ない。現実には、私が推進している学校のスーパースマートスクール化では、生徒のスマホを教室に持ち込んでWi-Fiにつなぎ、100%授業に利用する方法をとる。また、私が校長をしているオンライン寺子屋「朝礼だけの学校」ではChatGPTベースの「校長くんAI」を道化役に配していて、生徒の日常の相談に応じながら、人生のさまざまな悩みに応えられるAIをみんなで育てようともしている。

しかし、AIとつながったスマホ社会には落とし穴があることも事実だ。

私が恐れるのは巷間言われるようにAIが意志を保つことではない。それより、AIとつながったスマホを使えば使うほど、信じれば信じるほど、人間同士が似通ってきてしまうこと。均一化すること。既視感ありまくりの人間で社会が営まれること。その恐ろしさだ。