信用が揺らぐとき、マネーは「紙切れ」になる

第2章では「マネーの付加価値を考える」として、マネー・メカニズムについて掘り下げました。マネーの基本を知ることは論理的思考――その眼力こそが有意な資産形成に不可欠だと考えるからです。

さて、そもそもマネーとは何か? マネーは実体経済の潤滑油として機能することに意義があります。多くの場合、マネーそれ自体を蓄えることに意義を見出している方々が多いように思いますが、マネーは単なる借用証書でしかありません。

民間の中央銀行が発行したドルや円といったマネーは、それを利用する人々の信用によって成り立っているに過ぎないのです。ですから、信用によって価値が担保されている間は、マネーはその利用価値からして不動の資産であることに変わりありません。

しかし、その信用が揺らいだときには、本来の姿である紙の借用証書へと変化してしまいます。日本においては、昭和20年に紙切れになって以降は、幸いにもそのような価値の毀損がありませんでした。約80年もの間、信用され続けてきたのです。

1万円札の束
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「異次元の金融緩和」が日本にもたらしたもの

2013年以降、わが国では日銀の黒田総裁のもと、円の大量供給が行われてきました。それは実体経済をはるかに上回る規模のものです。

このような市場に大量の資金を供給する異次元の緩和政策は、わが国に限ったことではなく、欧米諸国を中心に競い合うようにマネーを発行し続け、その結果としてマネー価値を毀損させてきました。

たとえば、①「実体経済100対マネー100」が均衡のとれた状態であるとします。②「実体経済100対マネー1000」にマネーを増やしたならばどうなるでしょうか。①から②への変化は、マネー価値が十分の一に劣化したことを意味します。政府・日銀はそうした価値の劣化を呼び水に、実体経済に火をつけ燃焼させようと試みたのでした。

そしていま、世界ではアメリカを中心に、100→1000へと増やしたマネーの回収が始まっているのです。そのことは実体経済とマネー価値との均衡が取れる正常な状態へと巻き戻す作業なのですが、日本だけがその回収に出遅れてしまったのです。現在の円安は、そうした事象を背景に、日米の金利差と日本の貿易赤字とが相まって起きていると考えられます。

これは日本にとって非常にまずい状況です。この巻き戻しには、2013年に開始したマネー・メカニズム――日銀が国債や市場の株式を買って→円を発行する――を逆回転させることでしか達成できないからなのです。