自信を植えつけた「勝ちパターン」の体験

金田政寿 
1972年生まれ。日本大学商学部卒業。大手菓子メーカーでの営業・販売企画を経て、2001年にアサヒビールに入社。現在は、営業統括本部量販統括部プロデューサー。04年4月中小企業診断士登録。

現在、東京本社・量販統括部のプロデューサーとして量販チェーンの営業マンのサポート役を務める。金田がアサヒビールに転職して10年が経つ。

大学卒業後、大手菓子メーカーに入社した。スーパーやコンビニの営業を担当。ある日、営業先のスーパーで自社だけでなく他社の商品を含めた売り場全体のレイアウトを依頼された。店の売り上げを左右する大仕事だった。

「先輩の受け売りや経験に頼った提案では、お客さまにレイアウトの根拠を問われても説明できなかったんです」

「スキル不足」を痛感した。このままじゃいかんな……。仕事の流れはわかってきた。会社の居心地はいい。不満はなかった。でも、本当にこれでいいのか。もうすぐ30歳になる。社外でも通用する武器を持つべきではないか。

きっかけは、まさに足下に落ちていた。妻が通う専門学校の教科書が家の床に転がっていた。中小企業診断士試験用のテキスト。試験では経営やマーケティング全般の実務的な知識が問われる。これだ、と思った。

00年秋、試験勉強に取りかかった。同じころ、金田は偶然、アサヒビールの中途採用募集を知った。

スーパーの買物客が最後にカゴに入れる「ついで買い」をするのが菓子類だという。酒類のような「目的買い」の商品で勝負したい。そう考えていた金田は転職を決意する。

配属先は広島だった。金田はいう。

「土地鑑のない町で一から仕事をはじめた。そんななかで試験勉強を続けるのは、厳しかった。正直、諦めようと思った瞬間もありました」

しかも2度の不合格を経験した。心が折れそうになるたび「自分は何のために採用されたのか」と問いかけた。

(門間新弥=撮影)

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