迷ったときは常に「巻き戻し可能」なほうを選択する
大学を辞めた後で仕事がうまくいかなくなり、「あぁ、やっぱり大学を続けていればよかったなぁ」と後悔したところで、もう戻れません。しかし、大学を続けながら「辞めたいなぁ……」と思い続ける分には、実害はゼロです。
迷ったときは、常に「巻き戻し可能」なほうを選択すれば、実生活のダメージを最小限にとどめることができるわけです。
進むべき目標を定めるにあたって、選択肢が多いのは、とてもありがたいことです。自らその選択肢をつぶす必要はありません。
退路を断つことは覚悟の表れではない
自ら選択肢をつぶすことを「意気込み」や「覚悟」と同義ととらえる人もいますが、私はそうは考えません。
意気込みや覚悟が表れるのは、あくまでも努力の「質」と「量」においてです。
自ら選択肢をつぶす行為は単に、「自ら選択肢をつぶした」以外の意味を持ちません。
さきほどの大学生も、「大学を辞めて起業しました。背水の陣です」と宣言すれば「おお、いい覚悟だ」と褒めてくれる人はいるでしょうが、いざというときに本当に頼りになるのは自分自身だけです。窮地に陥ったとき、かつて褒めてくれた人に「あのとき、『いい覚悟だ』と言ってくれたじゃないですか!」と言ったところで、助けてくれるとは限らないのです。
「選択肢の削除」と「意気込み」「覚悟」とは切り離して考えるべきです。
選択肢をつぶしてもいいことなんて何もない
巻き戻しできる選択をした場合は、選んだ道がたとえ行き止まりだったとしてもやり直しが利きますが、巻き戻しできる選択をしなかった場合は、前にも進めないし元にも戻れないという、にっちもさっちもいかない状態になります。いわゆる「詰み」です。
この時点で、努力の継続は叶わなくなってしまいます。
もちろん、退路を断った段階で、将来的に「詰み」に陥らないように生きるのでしょうが、それでも「後戻りできない」というのは大変なプレッシャーです。「努力を積み重ねる方向を定める」という重要な意思決定に、少なからず影響を及ぼします。「退路がないから、こっちに進むしかない」という場面も必ず訪れます。
一度、重要な場面で自ら選択肢をつぶしてしまうと、その後も「選びたい選択肢を選べない」場面がたくさん訪れるのです。大きな損失です。
そのために私は、たとえ周りから「臆病者だ」「ずるい」「潔くない」と言われても、自分から選択肢をつぶすようなことはしないほうがいいと考えているのです。