両親には「今やっているビジネスは部活の代わり」と説明
また、私が「医師としての道も残しつつ、実業にも力を入れる」という選択をした背景には、「子ども4人のうち、誰かひとりでも医師の道に進むことを、両親がおそらく望んでいたであろう」という、私の個人的な事情もあります。これも無視することはできません。
私が動画編集で大きなお金を稼げるようになったのは、大学5年生のころです。当時、私は両親に、「今やっているビジネスは、部活の代わりだから。医師の道へ進むのをやめたわけではないから」と話していました。
大学では軽音部に入っていましたが、正式に所属できるのは4年生まで。でも医学部は6年制ですから、5年生、6年生は自動的に、隠居生活を強いられることになります。
つまり5年生になると、部活をやっていた時間が、まるまる暇になってしまうのです。せっかくの学生生活。いろいろなことにチャレンジできる時期なのに、ただただ隠居生活を送るのはもったいない。私は、ビジネスに打ち込むことにしました。
予防線があるから余裕が生まれて大胆な選択ができた
「この子は本当に、医師になるのか」と両親は不安げでしたが、私は毎月、両親に収支報告をしながら「絶対、医師にはなるから」となだめ続けていました。
もちろん、本心です。
しかし会社化し、サービスの展開を大きくしていく過程で、お客さまからの「喜びの声」が私のもとにも多く届くようになりました。
自分がつくったサービスが、人を幸せにしている。この嬉しさや充実感は相当なものです。そして、頑張ったら頑張った分だけ利益が出て、展開できるサービスがどんどん大きくなります。
私は次第に、「ビジネスの世界で勝負したい」と考えるようになりました。
ただ一方で、「ビジネスがこんなにもうまくいっているのは、『もしもダメだったら医師になればいい』という予防線があるからではないか」とも感じていました。
いくら成長市場とはいえ、一介の学生が立ち上げた会社が初年度から年間1億円の利益を出すことができるなんて、奇跡です。自分なりに努力を重ねてはきましたが、もしも「医師への道を断って、ビジネス一本で勝負だ」と考えていたら決して選べないような、遊び心たっぷりの選択肢もたくさん選んできました。
「予防線」のおかげで心にいくらかの余裕が生まれ、大胆な選択肢も選べたのだと私は考えています。正しい方向に努力を重ねる上で、「退路」はとても大切なのです。