政治は「向こう側」の世界の出来事だった

【原】敗戦という未曽有の危機を、東京からしばし離れて箱根や伊豆の各地に湧く温泉の力を借りながら乗り越えた戦後保守の歴代政権の歴史を見ると、今の政治から見失われたものがあるように感じます。

吉田茂から佐藤栄作までの保守政権の首相たちは、早大卒の石橋湛山を除き、みな旧帝国大学を出ている。大卒自体がまだ非常に少なかった時代、旧帝国大学を出ているのはそれだけでも圧倒的なエリートです。だから多くの国民は、彼らを自分たちとは違う存在として見ていた。しかし戦後、民主主義が浸透し、大学進学率も高まると、政治をする側、見る側の垣根が低くなり平準化していきました。人々が自分たちと同じ目線で政治家を見るようになったんです。

原教授
撮影=遠藤素子
政治を見る人々の目線も大きく変わった

【御厨】田中角栄はいまでも人気のある政治家で「政治の大衆化」に貢献したと思うけれど、ワイドショーが政治ネタに飛びつくようになった。政治家のスキャンダルが芸能人のそれを同じレベルで扱われるようになった。政治の格下げだね。

【原】それまでの歴代首相とは根本的に違いますね。東京に張り付くようになった最初の政治家が田中角栄じゃないかな。

【御厨】原さんが言ったことで思い出すんだけど、当時の人々にとって政治はあくまでも「向こう側」の世界の出来事なんだよね。僕は昭和20年代~30年代に作られた「ニュース映画」を全部見たことがあって、政治は「こっち側」ではなく、「向こう側」のこととして描かれる。劇場で上映されていたニュース映画にはそういう雰囲気があったんです。

政治を「見守る」目線があった

【御厨】当時の人々にとって、政治は「向こう側」のこととして「見る」ものだった。原さんが指摘したように、政治家が自分と異なる存在と認識されていたからでしょう。僕は、当時の政治を「見る」というやや距離のある感覚が、政治を「見守る」という目線を生んだと思っています。今は失われたように感じますね。

御厨教授と『戦後政治と温泉』
撮影=遠藤素子
戦後復興や高度成長期を担ったリーダーたちを見ると、今の政治から失われたものに気づかされる