【御厨】例えば鳩山一郎は、1951年に脳溢血で倒れた。今だったら倒れた時点で政治生命はおしまいですが、翌年には政界に復帰して、首相に上り詰める。ライバルの吉田茂もずっと神経痛を抱えていました。今は病気になること、病気の噂を立てられることに対して政治家がものすごく敏感でしょう。医者も秘するし、すぐに政治ネタになる。何よりそんな政治家を国民が許容しなくなった。この健康感覚の違いが、窮屈になった今の政治の苦しさを表していると思うね。

――政治を見守る目線をもったほうがいいということでしょうか。

【御厨】そう。もちろん政治家自身が改めなければいけないことは多くて困っているわけだけど、我々の側もゆとりと余白を広げたほうがいい。議論が生まれることで政治はもっと面白くなるはずだから。

対談する原教授と御厨教授
撮影=遠藤素子
対談する御厨教授(左)と原教授

「皇室の危機」との共通点

【原】「政治の大衆化」の問題は、令和の皇室にも当てはまる。2011年の東日本大震災の時は、発災から5日後、明仁天皇(現上皇)がテレビを通してビデオメッセージを発表し、皇后と共に3月末から7週連続で避難所や被災地を訪れた。対して令和の皇室は、元日の能登半島地震で一般参賀が中止になり、2月23日の天皇誕生日でメッセージは出されたものの、発災から2カ月あまりが経っても被災地を訪れる具体的な予定は発表されていません。この大きな違いが生じた原因を考えているんです。

名古屋大学准教授の河西秀哉さんが『文藝春秋』(11月号)で指摘したように、令和になって、ネットニュースのコメント欄やSNSで上皇夫妻へのバッシングが起きるようになりました。平成の時は、被災地をたびたび訪問する夫妻の姿勢は「あれがまさに象徴天皇」と称讃されていましたが、時間が経って表面化していなかった声が現れるようになりました。震災から間もない時に現地を訪問するのは迷惑以外の何物でもない――という批判です。コロナ禍もあって移動を良しとしない考え方が強まり、天皇夫妻も動けなくなったと言えるのではないでしょうか。

【御厨】その通りだと思います。上皇夫妻は宮内庁が動かないとわかってるので、情報にいち早く接して、ご自身で動かれる。特に1995年の阪神淡路大震災以降、そういう傾向が強まったのは間違いない。両陛下にお会いした誰もが驚くらい、自然災害に関してよく知っておられる。

2人は、被災者に寄り添う「平成流の天皇像」を引き継がせたい思っていた。ご退位のメッセージからもそれが強く感じられます。しかし、それはすでに失敗した。今の天皇夫妻はもっとティミッドだった。だから宮内庁が動かない限り、動かない。以前より警察官僚が多く占めるようになった宮内庁だから、ますます動けず、どこにも出かけられない。令和の天皇制は考えられているより危機にあると思います。

「政治の当たり前」を捉え直すことが必要だ

――政治との距離感を捉え直す必要があるということでしょうか。

【原】令和になり、平成の時代から状況が大きく変わった。それは新型コロナの感染拡大で、自由に移動ができなくなったことが大きいと考えています。皇室も例外ではなく、天皇や皇后が御用邸に出かけることもなく、皇居の中に幽閉されているような時期が続きました。