「修学旅行がつまらない」というクレームが入ることも
もう一つは「成長のための不快」です。それを経ることで成長につながるような不快であり、例えば、間違っていることや悪いことを指摘される、自分の限界に気づかされる、他者との意見の違いを経験するなどです。こういう不快については、受けとめ、自分の中で消化していくことが重要になります。
【事例1:修学旅行中に担任に電話する母親】
不登校気味の高校二年生女子の母親。修学旅行中に担任に対して「娘が面白くないとメールしてきた。何とかしてあげてください」と連絡してくる。
修学旅行中は人間関係の交錯が起きやすい(自由時間に誰と回るか、バスで誰が隣か、班の一人が戻ってこない……など)ので楽しいばかりではないのが普通です。ただ、こうした人間関係の交錯が起こることによって子どもたちが成長する機会となるのも事実です。
しかし、この事例の母親は子どもが不快であることをとことん排除しようとして、かなり非常識な行動を取っています。母親が「子どもの不快に過敏に反応する」からこそ、子どもが母親に「面白くない」と連絡したのだと思いますし、これまでも「不快の主張」によって母親を操作して環境を変えてきた可能性も考えねばなりません。
「褒めて伸ばす」が勘違いされている
子どもが不快だからといって、不快が生じるあらゆる状況を排除・操作してしまえば、成長に欠かせないような出来事を「要らない不快」と考えて回避してしまい、せっかくの成長の機会が失われることになってしまいます。
また、社会の中で自分が失敗したことを指摘されて「パワハラ」と言ったり、相手が思った通りにしてくれないだけで「あの人はおかしい」と言ったりしていれば、当然、成長することも、自分以外の人が「思い通りにはならない」という当たり前の感覚が身につくことも起こらなくなります。
「子どもを不快にすることへの拒否感」と関連がありそうな社会の風潮として「褒めて伸ばす」があります。社会の中でかなり市民権を得ているように見える「褒めて伸ばす」という子育ての在り方ですが、カウンセリングで多くの家庭を見る中で「褒めて伸ばしている」つもりが、いつの間にか「子どもの問題を指摘しない」「ネガティブなところを示さない」という形に変質してしまっていることがあります。
本来、「褒めて伸ばす」とは、「ネガティブな面は見せない」ということではないはずです。ポジティブなところだけを伝えて褒めるのに、ネガティブなところを無かったかのように振る舞うということは、子どもを根っこの部分では弱い存在だと見なしているのです。
無自覚のうちに「ネガティブなところを示すとショックを受けて立ち直れないだろう」「この子にはそんなパワーはないだろう」と子どもの力を低く見積もっているからこそ、子どもがショックを受けるような情報を誤魔化したり加工したりするのです。