人生は「どっちでもいい」ことだらけ

人間関係は、都合のぶつかり合いのようなものです。

愛着のある服を、私は「まだ着られる」と言い、妻は「ヨレヨレでおかしい」と言います。

私は余計な争いを避けるために、妻の都合を優先して古い服を処分します。

都合のぶつかり合いは自分の中でも起きます。寝ないと明朝すっきり目が覚めない、しかし、まだやりたいことがある。お酒の席は楽しく過ごしたいが、どういうわけだかいつも礼に始まり乱で終わるなど、数え上げればきりがありません。

私たちは、自分の都合のうち何を選択するかによって、周囲に迷惑をかけることもあれば、周囲を幸せにすることもできます。

とはいえ、私たちの日常の多くは「どちらでもいい」ことだらけです。その選択がどんな結果につながるかは予知できないし、正解はあとにならないとわかりません。

2つのことを比較する女性
写真=iStock.com/metamorworks
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食事は心身の健康を保つため、車は安全に走るためなど、木で言えば幹に当たる本質さえわかっていれば、枝葉末節は大した問題ではありません。

自分の都合というこだわりの枝葉から離れて、幹を大切にしましょう。

こんな“打算“が、あなたを孤立させる

「損得」は経済で使われる用語です。

同じ商品なら安いお店で買うほうが得です。海外の観光地にある土産物店は、どこでも同じようなものを売っているので、なるべく安いところで買いますが、別のお店へ行くともっと安かった、という失敗をしたことがあるのは私だけではないでしょう。

あるときガイドさんに愚痴をこぼしてしまい、「自分は一番安く買ったと思えばいいんです。他のお店で同じ商品の値段なんか見てはだめです。観光地ってそういうものですよ」と諭され、妙に納得したのをおぼえています。

ところが、経済用語の損得を人生に当てはめてしまう人がいます。「PTAの役員なんか受けたら損だ」「人に親切にしても何の得にもならない」「あなたと結婚して損した」などは、巷でよく耳にする言葉です。

香りが徐々に物にしみ込むように、損得勘定を疑いもなく人生にしみ込ませていけば、待っているのは孤立です。損なら良いこともせず、得になるなら人を裏切ることも辞さない、そんな人は誰からも信用されず、相手にされなくなるのは自明の理です。