女性を襲うとき「私は何をしても許される」と言った光源氏
源氏は、右大臣の娘で、弘徽殿女御(大后)の妹である朧月夜とはじめて関係する時も、向こうからきた朧月夜をつかまえて、「誰か来て」と叫ばれながらも、
「私は、皆にゆるされた身なので、人を呼んでも無駄ですよ」(まろは、皆人にゆるされたれば、召し寄せたりとも、なむでふことかあらん)(「花宴」巻)
と、相手を黙らせています。
宮中の花の宴が終わり、源氏は、藤壺に逢いたくて藤壺あたりをうろうろしていたんですが、どの戸口も閉ざされて隙がなかった。それで近くの弘徽殿の細殿に立ち寄ると、戸口が一つ開いていた。入ってみると、並みの身分とは思えぬ人が「朧月夜に似るものぞなき」とうたいながらこちらへ来たので、嬉しくなった源氏はつかまえたわけです。
もっとも朧月夜は「源氏の君か」と気づくと、気持ちを「いささか慰め」て、さほど抵抗もせず、源氏の兄の朱雀帝の尚侍として入内したあとも、源氏と関係を続けています。
紫式部にも酔った道長たちに襲われそうになったピンチがあった
実は『源氏物語』のこうした描写は現実を反映しているのではないかと私は考えています。
というのも、現実の大貴族や皇族も、受領階級出身の女房に対しては、やりたい放題だったのだなということが、史料や古典文学からはうかがえるからです。
『小大君の集』には、三条天皇が東宮時代、台盤所(食器類を載せる足つきの台=台盤を置く所。台所。宮中では清涼殿内の一室で女房の詰所)に「すりの蔵人」という女房がひとりでいたところ、
「それとらへよ」
と、「ゆきより」という者に仰せて、捕らえて「更にゆるさでふしぬる」(決してゆるさず、セックスしてしまった)ということが書かれています。
『紫式部日記』にも、宴会で酔った藤原隆家(道長の甥)が、「兵部のおもと」と呼ばれる女房を無理やり引っ張っている様が描かれています。
「今夜は恐ろしいことになりそうなご酔態ぶりだ」(おそろしかるべき夜の御酔ひなめり)
と思った紫式部が同僚と示し合わせて隠れようとすると、道長につかまり、
「和歌を一首ずつ詠め。ならばゆるしてやる」と脅された。
「いとはしくおそろし」
と思った紫式部は歌を詠み、難は逃れたようですが、場合によってはレイプされていたかもしれません。
『源氏物語』に描かれるレイプは、こうした現実の、紫式部なりの告発としても読めるのではないでしょうか。