紫式部と藤原道長は恋人関係にあったのか。作家の岳真也さんは「密接な関係にあったことは間違いないが、残された歌や史料を調べた結果、2人に恋愛感情はなかったと断言できる」という――。
※本稿は、岳真也『紫式部の言い分』(ワニブックス【PLUS】新書)の一部を再編集したものです
道長が紫式部に送ったあやしい歌
『紫式部日記』は一種の公文書であり、お上に差しだす「献上品」ですから、ときには自分にとって障りのあることを削り、装飾用の言葉を書きつらねたこともあったかもしれません。
すなわち、完全なノンフィクションではなく、フィクションのところも多少なりとあったかと思うのですが、なかに、こんな怪しげな式部と道長の歌のやりとりもあります。まずは道長からのものです。
すきものと 名にし立てれば 見る人の 折らで過ぐるは あらじとぞ思ふ
彰子は出産のため、里(土御門殿)に帰っていました。紫式部もいっしょです。彰子がいる座敷には、妊婦が好む梅の実が用意されていました。また、彰子のかたわらには、愛読書の『源氏物語』が置かれています。
そういうなかで、道長は梅の実の敷き紙を一枚抜いて、さらさらと歌を書きつけ、紫式部に手わたしたのです。それが、さきの歌ですが、語句の意味を明かしておきましょう。
「すきものと名にしたてれば」は「酸っぱい梅の実は美味として知られる」ということですが、「すきもの」は好者(好色な人)の意をふくんでいます。
歌の後半も通して、全体を訳せば、
「酸っぱい梅の実は、美味と言われる。見た人が(梅の木を)手折らずにはいられないと思うが、いかがかな」と、問うているわけです。
この歌のさらなる底意には、
「『源氏物語』の作者は「好き者」として知られている。男が口説かずにはいられないはずだが、どうだろう」ということがあるか、と思われます。
つまり、冗談半分で道長が歌を詠んだとしても、紫式部に対して、誘いをかけているかのように読めるでしょう。