冗談には冗談で返す

紫式部は歌を返しました。

人にまだ 折られぬものを 誰かこの すきものぞとは 口ならしけむ

簡略に訳せば、

「わたくしはまだ、男性に手折られたこともないのに、だれがそんなわたくしのことを、『好き者』などと言いふらしているのかしら。本当に心外なことだわ」となります。

「口ならし」は「酸っぱい梅の実を食べて口を鳴らす」と「言葉巧みに言いふらす」の両意を掛けています。

紫式部は結婚した経験もあるし、子どもがいることは周知の事実ですから、「男性に手折られたことがない」と詠んだのは、道長の歌に彼女のほうも戯言(冗談)で返したわけで、「道長さまは冗談がお好きね」とばかりに、するりとかわしたのではないでしょうか。

この歌を引き合いに出して、

「紫式部は道長の愛人ではなかったか」

という話も伝えられています。しかし、紫式部の側では、はっきりと道長の誘いを断わったのですから、まるで根拠はなく、「何をか言わんや」でしょう。

私はあなたの家の戸を何度も叩いた

ところが、じつはこのあとに、もう一つ、気になること(歌のやりとり)があったのです。

「渡殿に寝たる夜、戸を叩く人ありと聞けど、おそろしさに音もせで明かしたるつとめて」(詞書)

この詞書の意は、

「渡殿の局で寝ていた夜、局の戸を叩く人がいる。わたくしはおそろしくて、声も出せずに夜を明かした早朝に」

となり、戸を叩いた本人(男性)の歌は、つぎのものです。

夜もすがら 水鶏よりけに なくなくぞ 真木の戸口に 叩きわびつる

歌を意訳してみます。

「自分は一晩中、戸を叩くような声で鳴く水鳥以上に、切ない思いで、堅い真木の戸をいくども叩きながら、嘆いていたのだよ」

紫式部は、すぐに歌を返しました。

ただならじ とばかり叩く 水鶏ゆゑ 開けてはいかに 悔しからまし

訳しますと、

「ただならぬ感じで、水鳥よりも盛んに戸を叩く人(あなた)がいたの。それでもし、わたくしが戸を開けていたら、どれほど後悔することになったかしらね」という内容です。

戸を叩いたのは道長だという想像も成り立ちますが、それは明記されていません。本当のところは不明です。しかも紫式部は、戸を開けずに、拒否したことになります。

その後、紫式部と道長の仲はどうなったかというと、もはや何の歌のやりとりもなく、記録も残っていないため、まるで分かりません。