直せるものを直し、得意なものを磨く
子どもの勉強であれば、算数が得意で国語が苦手なら、国語の点数を伸ばすことも考える必要があるかもしれません。
しかし大人の場合は、不得意なものを向上させようと躍起になる必要はありません。
仕事に支障が出るようなマイナス面、たとえば怒りによって感情のコントロールがきかなくなるといったことは、直す必要があるでしょう。自分の特性の中で、修正するべきものを見極めて、修正できるものは修正します。
しかし、変えられないものに対して無駄な努力をするよりは、やり方しだいで向上できるものに特化して取り組むほうが効率的と言えます。
2通りの勉強に対して、あるやり方を試すことによって、成績が上がったものと上がらなかったものがあったとしたら、上がったほうのものが自分の能力特性に合うものということですから、そちらに力を入れるようにしたほうがいいでしょう。
不得意なことに目を向けるよりも、むしろ得意なことを探して、それを磨くことを考えたほうがいいのです。
単純に考えて、自分ができないことを勉強するより、できることを勉強するほうが楽しいに決まっています。
得意なこと、好きなことを勉強して、この分野に関しては絶対に誰にも負けないと言えるようになれれば、それで道が開けるという可能性もありますし、少なくとも人生において何らかの形で役立つはずです。
たとえばワインの勉強をして、会社の中でワインに一番詳しい人間になったとします。それが業務の上で直接役に立つことはほとんどないとしても、大事な接待の場面でその知識が活きるということはあるかもしれません。
これが自分の取り柄だと思えるものがひとつでもあれば、それが何もないよりは生きていて楽しいことは確かです。得意なことをきわめる勉強は、その過程と成果の両面で人生を豊かにしてくれます。
自分にとってのゴールを考える
ただ漠然と「勉強しなければ」という思いから、勉強に手をつけようとする人も多いように思います。
勉強を始めるなら、その前に「何のために勉強するのか」を明確にすることが必要です。
「資格をとるため」「転職するため」「会社の中で生き残るため」など、目的に応じて行うべき勉強は変わってきます。
まず目的があって、そこからするべき勉強が具体的に見えてきます。たとえば資格試験の合格が目的であれば、過去問をチェックしてみて、自分にはできそうもないと思えば、あきらめてまた別の目的を探したほうがいい。それができるのが大人のいいところです。
目的は、仕事に関することだけとは限りません。老後に史跡めぐりを楽しむために、歴史の勉強をするといったことでもいいし、異性にモテるために知性を磨くということでも何でもいいのです。
たとえば異性にモテるために勉強するというのは、一見くだらない動機のようにも思えますが、実際にウンチクで異性にモテようと思うなら、相当なレベルの知識が必要になります。
自分の知性で異性を惹きつけるというのは、それなりに目指しがいのある目的ではあります。
たまに喫茶店などで、勉強サークルの講師役と思われる60代ぐらいの男性が、40~50代の女性たちに囲まれて楽しそうに盛り上がっている光景を目にすることがあります。
モテるということではないにしても、勉強したことを人に教えられるぐらいになれば、それによって異性のファンをつかむということもあり得るでしょう。そういうことができるのは、テニスのコーチだけとは限らないわけです。
人に教えることが目的になれば、難しいことをわかりやすく伝えるスキルを磨くなど、またそこでゴールに応じた勉強が見えてきます。
あるいは「子どもに尊敬されるため」でもかまいません。
たとえばテレビのワイドショーを見ていると、少年が起こした事件をめぐって、コメンテーターが「少年犯罪の増加」を憂慮するコメントをしていることがあります。
しかし実際には、少年犯罪の件数は戦後一貫して減少傾向にあります。子どもと一緒にテレビを見ているときに、それを指摘してデータとともに解説することができれば、子どもの尊敬を勝ち得ることができるはずです。