「考え事をしていたら、家に着いていた」そんな人は要注意
普段から、私たちの心は常に未来を捉えているので、現在についてはボーッとしています。
「帰宅中、考え事をしていたら、いつのまにか家に着いていて、どうやって帰ったのかよく覚えていない」
そんな経験はありませんか? (私にも何度か経験があります)
それは「いま」を生きていないのと同じ。貴重な楽しみを、みすみす手放しているようなものです。
「そんなの、しょっちゅうだよ!」という人は、考え事の比重が未来に移りすぎて、「いまを忘れること」が多くなっているのかも。どうぞお気をつけくださいね。
こうした心の動きが癖として身についてしまうと、未来の心配に人生の大半を奪われ、味わうべき“いま”を失ってしまいます。
これは親しい精神科医に聞いた話ですが、悩みを抱えている人は「何かいいことないかな」というフレーズが、よく口癖になっているそうです。つまりフォーカスが未来に向いていて現在にない。それが「しんどさ」の表れなのだとか。
そのような場合、「いいことが来る!」「いいことが起こる!」と、現在形の断定口調に変えると、フォーカスが現在に引き戻され、生活が充実しやすくなるとのこと。
現在への集中が、人生を豊かにするわけですね。
いまが“台無し”になったとき、どう考える?
あるカナダの心理学者が著書の中で、幸せになるためのヒントをいくつか挙げているのですが、その最後を「道で出会った猫を撫でる」で締めくくっています。
いま、可愛い猫にたまたま出会ったことに気を留める。それを撫でて柔らかさや暖かさを感じる。その猫と心を通わせ、優しい気持ちになる……。そんな“ちょっとした幸せ”を見逃してはいけません。
いま、確実にそこにある幸せを、しっかりと意識したいものです。
いま、手にしたカップから立ち上るコーヒーの芳醇な香りにうっとりしたり。
いま、目の前にいて他愛ない話をする人の幸せを願ったり。
いま、あびたシャワーの温かさに全身がほっこりする心地を感じたり。
いま、YouTubeで見つけたチャンネルのおかしさで心を一杯にしたり。
よくよく考えると、私たちの「いま」は楽しむことにずっと忙しいのです。ですから「未来を心配している無駄な時間」などありません。
いまにフォーカスできるようになった場合、いまが“台無し”になったときは、失望をより大きく感じることがあります。
②「予想しなかった出来事」を、ラッキーと思うか
一般的に、①の考え方をする人は、「予想した通りのことが起こってほしい」人ですから、未来に対するフォーカスがやはり強いといえます。