肺がんで余命半年と宣告された50代男性の変化
「限られた中でもできることがある」という希望や、誰かを想う気持ちが与えられると、人の心も表情も大きく変わります。
以前関わった患者さんの中に、肺がんで余命半年と宣告された、50代の男性がいました。
病気になる前、メーカーの営業マンとして仕事に心血を注いでいたというその患者さんは、最初のうち、自分の病気や余命わずかであることを受け入れられず、自暴自棄になっており、「働くことのできない自分に価値はない」「人に迷惑ばかりかけて、こんな体で生きていても仕方がない」と言っていました。
ところが、ご家族や私たち援助者からのサポートを受けているうちに、少しずつ病気であることを認め、今の自分を受け入れられるようになったのでしょう。
あるときを境に、彼は酸素を吸入しながら、大好きなたばこを吸いながら、毎日便せんに向かい、ご家族へのメッセージを書くようになりました。眼鏡の奥の目をらんらんと輝かせ、「人生において大事なのは、お金でも出世でもない。人は宝だということを、子どもたちに伝えたい」と言っていた彼の表情を、私は今でも忘れられません。
その患者さんは、死が間近に迫っているという究極の絶望の中で、「働けなくなった自分にも、自分の人生で得た教訓を大事な人に伝えることができる」「病気を治すことも死を避けることもできないけれど、変えられるものがある」ということに気づいたのです。
幸せの基準を変えることは「あきらめ」ではない
みなさんの中には、幸せの基準を変えること、現実に合わせた希望を抱くことを「あきらめ」だと感じる人もいるかもしれませんが、そうではありません。
変えられるものと変えられないものを見分け、変えられるものを勇気を持って変えていくこと。それは、本当に大切なことに気づくことであり、どんな苦しみの中にあっても希望を失わないことであり、本当にあなたらしい人生を歩むことなのです。
そして、ニーバーの祈りは、「自分には変えられないものがたくさんある」と確認するための言葉ではなく、本当に大切なものや希望を見つけ、自分を肯定するための言葉であると、私は思います。
心身の健康を損ない、思うように生きられなくなった人、コロナ禍によって仕事を失い、今までどおりの生活を送ることができなくなった人……。みなさんの中にはさまざまな苦しみを抱え、自分自身や自分の人生を否定し、「こんな状況で、幸せになんかなれるはずがない」と思っている人もいるかもしれません。
でも、変えられるものを知り、変える勇気を持つことができれば、自分自身や自分の置かれている状況、自分の人生を肯定できるようになり、あなたの苦しみは半分になるかもしれません。
しかもそれは、あなたに、究極の幸せを与えてくれるはずです。