ドラマ「大奥」(フジテレビ系)では側室・お知保が、御台所・倫子に先んじて10代将軍家治の寵愛を受けた。系図研究者の菊地浩之さんは「ドラマではお知保の実家が貧乏だったが、史実では禄高300俵(120石)の旗本の娘でそこまで貧しくはなかったはず。しかし、知保が世継ぎを産むと、家督を継いだ弟は6000石という大身の旗本に出世。現在の価値で年収5億円ぐらいになった」という――。

家治の側室「お知保の方」の実家は貧乏だったわけではない

ドラマ「大奥」(フジテレビ系)の第3話で、将軍家治(亀梨和也)の側室・お知保の方(森川葵)が実家に宿下がりした。父はすでに亡くなっているようで、母親と気丈な妹、お腹をすかせた、やんちゃな弟たちという貧乏を絵に描いたような境遇だった。しかし、お知保の方は将軍の世継ぎを産むので、兄弟たちの生活も改善されるであろう(そこまで描かれるかはわからないが)。

お知保の方の実家って、ホントに貧乏だったのだろうか。そして、将軍の世継ぎを産むと、その家族はどれくらい出世できたのだろうか。

お知保の方は、家禄300俵(約120石換算)の旗本・津田信成つだのぶしげの三女で、現在の貨幣価値に換算して年収1000万円弱。正直なところ、そんなに貧乏ではないと思われる。

ちなみに、Wikipediaで「津田信成」というワードで検索すると、織田信長の一族・津田信成のぶなりという武将がヒットしてしまう。徳川家の分家筋が松平を名乗るように、織田家の分家筋は津田を名乗った。しかし、実際はお知保の方の実家は織田一族ではなく、信長の母方の従兄弟・生駒満正いこまみつまさの子孫である。

お知保は織田信長の従兄弟の子孫で、弟は大身の旗本に出世

満正の子・津田一英かずふさが、織田一族の養子になって津田を名乗ったらしい。満正は大坂夏の陣で豊臣方として討ち死にしたが、妻が秀忠の正室・江の侍女だったので、秀忠の娘・勝姫の輿入れに従って、一英は越前松平家に赴き、その家老となった。勝姫が死去すると、その遺言で一英の子が旗本に取り立てられ、その子が信成なのだという。

お知保の方が家治の長男・竹千代(のちの徳川家基)を産んだとき、信成は老齢ですでに隠居していたが、まだ生きていた。弟の津田信之のぶゆきが家督を継ぎ、竹千代が江戸城西丸にしのまる(将軍の世継ぎ、もしくは引退後の将軍が住む場所)に移るにともない、1000石に加増。その後も加増を重ね、最終的には6000石の大身旗本に大出世した。

お知保の方は旗本の娘で、比較的しっかりした家柄だったが、ドラマ「大奥」に描かれたような、貧乏長屋からのシンデレラストーリーは実在したのだろうか。

そこで、初代から10代将軍までの主な側室を一覧してみた(図表1)。