医療者にできることにも限界がある

医療者も人間ですから、能力や体力には限界があり、人柄もよい人ばかりではないし、精神状態もいつも安定しているわけではありません。今は専門性が細かく分かれていますから、自分の専門以外のことはわからない医者もたくさんいます。

にもかかわらず、世間は医療者にスーパーマンのような能力と、キリストや釈迦しゃかのような人格を求めます。最高の技術と最先端の幅広い知識を備え、常に患者さんのことを考え、ミスを犯さず、判断もまちがえず、親切で患者さんの気持ちに寄り添い、説明もわかりやすく、気さくでまじめで親しみの持てる頼りがいのある存在です。

患者の手を握る看護師
写真=iStock.com/David Gyung
※写真はイメージです

以前、ある全国紙の社説に、「患者の病気を治すのは当然として、ひとりひとりの悩みや苦しみにも共感し、身体のみならず精神面でのきめの細かい対応をしてほしい」と書いてあるのを見て、私は愕然としました。性格も人生経験も手持ちの情報も異なる個々の人に、そんな対応ができるわけがありません。それができると思うならそれこそ幻想です。

しかし、天下の大新聞が臆面もなく書いているので、世間はそれが当然だと思い込むでしょう。医療者のほうも、「そんなこと、できるわけがない」などと言うと、不真面目、やる気がない、努力が足りないと批判されるのを恐れて、身内の飲み会以外では滅多に口外しません。

こうして世間と医療者の意識に大きなギャップが生じ、現場でよけいな軋轢や失望やもめ事が頻発することになります。

「それはわかりません」とは言いづらい

私は医療者がもっと正直になればいいと思いますが、プライドが高いので、世間の期待には応えられませんなどとはなかなか言いません。専門家も同じで、「それはわかりません」とは口にしにくい。

2020年から約3年、日本中を席巻したコロナ禍で、世間は専門家の意見を強く求めました。どうすれば予防できるのか、感染したらどうすればいいのか、いつまで自粛すればいいのか。

しかし、新型コロナウイルスはその名の通り“新型”ですから、研究データの積み重ねがありません。従って確実な予防法や治療法を決定することはできないはずです。にもかかわらず、「新しいウイルスなので、確かなことは言えません」と発言する専門家は皆無でした。そんなことを言うと、信頼を失い、だれも見向きしなくなるからです。