「気づかないことの幸せ」もある
【高橋】僕ら小児科医にとっての発達障害は、「発達が進むに従って、次第に明らかになってくる日常生活上の困難さ」であると、お話ししましたよね。ですから、困難が明らかになる前の、小さいうちの診断は慎重にすべきだと思います。そういう前提に立てば、ADHD(注意欠如多動症)やASDの診断は早ければ早いほどいい、というわけではないんです。
診断名をただ突きつけても、有効な治療がないまま見守るだけであれば、親御さんの心配が早く始まるだけです。そのような無責任な診断は避けたいと思っています。
【黒坂】小さいうちに発達障害の診断を下すことは、慎重にしなければならないということなんですね。無理やり診断をつけても、ただ親の心配が早く始まるだけでは無意味だと。確かに、学習障害の息子の場合も、幼いころ、ほとんど話をしなくて心配していたのですが、「そのうち話すかな」とわりとのんびり構えていた気がします。そのころに診断名を告知されていたら、もっと不安になっていたかもしれません。
【高橋】そうなんです。発達障害と気づかないことの幸せもあるんです。発達障害と聞くと、「見逃しちゃいけない」と思う方が多いのですが、実はそうでもないんです。早い時期に診断をつけることで、本来楽しめるはずだった育児を、不安と療育だけで満たすようなことは避けたほうがいいはずです。
「落ち着きのある2歳」なんていない
【黒坂】でも、手遅れになることはないのでしょうか?
【高橋】「手遅れになる仮説」みたいなのがあって、皆さん心配して来院されるんですが、少なくとも通常の日常生活を送っている子どもの場合には、そのような焦りは不要と思っています。
【黒坂】それはなぜですか?
【高橋】現代の日本のように成熟した社会であれば、親御さんや周囲にいる誰かが「この子、日常的に困難を感じているな」と気づいたときに、その困難さの本質を理解するために診断をつければ十分で、手遅れにはなりません。
虐待事例を別にすれば、お父さんもお母さんも育児に関心があり、愛情を持ってお子さんに目を向けているものです。保育園や幼稚園に預ける機会もある。そういうお父さんやお母さんが、園の先生方が、「子ども自身が困難を感じ始めた」そのタイミングで違和感を覚えないということはまずありません。周囲の誰かが必ず気づくものです。
【黒坂】息子のLD(学習障害)に最初に気づいてくれたのは、小学1年生のときの担任の先生でした。確かにそうかもしれません。
【高橋】2歳ぐらいで“ADHDの疑い”で病院に連れて来られる子がいるんです。でも、考えてみてください。2歳で落ち着きのある子っているでしょうか? 落ち着き払った2歳児のほうがむしろ心配です。2歳や3歳で集団指示に従わない、1人で走り回っている、机の上でダンスをする。それが日常生活に支障をきたすことになっているなら別ですが、「こういう子いるよね」というレベルであれば心配ありません。