たしかにイタリアの繊維産業はデザインを武器に生きてきた。しかし、そのデザインが事業として競争力を持ち続けるには、そのデザインを実現するための技術、しかも工業生産ラインに乗せるための技術が背後になければならないのである。たとえデザインそのものがデザイナーの才能で素晴らしいものができても、それを工業生産ラインに乗せられなければ、芸術活動にはなっても事業活動にはならない。

もちろん、単に技術だけではない。このタイプのイノベーションは、デザインドリブンイノベーションとでもいうべきものである。それは、ミラノ工科大学のベルガンティ教授がこの8月に出版予定の本のタイトルにもなっている概念である。素晴らしいデザインをまず考える。それを製品として実現したい。そのためには技術がいる。それを工夫することが技術のイノベーションになる。それはしばしば、ハイテクの先端技術開発ではなく、既存の技術要素の意外な組み合わせによることも多いだろう。

イタリアという、ルネサンスを生んだ文化と芸術の伝統が人々の暮らしの中に今も息づいているアルチザンの国だからこそ、デザインドリブンイノベーションが生まれるという面がある。

しかし、日本も室町以来の長い工芸の伝統のある国である。桂離宮に代表されるような、世界にも通用するデザイン性豊かな建築や製品を歴史的に生んできた国である。しかも、その日本には近代の工業技術の蓄積が巨大にある。デザインドリブンイノベーションを日本もやれる素地は十分にある。いや、すでに起きている。私たち理科大MOTでも注目している任天堂Wiiのイノベーションは、ベルガンティ教授の本にもデザインドリブンイノベーションの例として取り上げられているそうだ。

東アジアの国々をはじめとして、ジャパンクールという言葉が広まりつつある。日本のデザインやブランドがクールなのである。そのクールさの裏に技術の裏打ちがあれば、日本らしいユニークな国際競争力になる。そしてそれはガララーテの4代目経営者のように、当面の危機をしのげばその先は開けるという展望につながるのだろう。

市場の動きに機敏に対応するというマーケットイン経営だけでは、マーケットがクラッシュしてしまうとその恐怖におびえることになる。しかし、技術のイノベーションの能力を持ち、その技術とデザインをつなげて高い価値のある製品を生みだすことができれば、それは経済危機をしのぐ自信になるのである。