「お前、何しに来たんだ」
川上さんは自分が作った静岡県の葛城ゴルフ倶楽部に併設した「北の丸」という和風建築の隣に庵を設けて常駐していた。会長の許可を得るためによく通ったものである。
「何しに来た」
「いろいろご相談したいことがあって」
「興味ねぇぞ」
「ちょっとお話ししたいこともあるので」
「そうか。じゃあ上がれ」
最初はこんなやり取りで最高級のオーディオセットが据えられた居間に通される。ある時会長はしばらく黙り込んでいたが、唐突に「お前、音楽は好きか?」。
「大好きです」と答えると、「じゃあこれを聴いてみろ」とおもむろにオープンリールのテープをオーディオにセットした。聴こえてきたのは、ショパンとベートーベンとモーツァルトが不純異性交遊したような、不思議な音楽である。
「どうだ?」というから、「面白い曲ですね」と返すと、「これは8歳の子供が作曲して演奏している」。
川上さんはモーツァルトやベートーベンの再来を夢見て、子供たちが音楽の自作自演活動をするJOC(ジュニア・オリジナル・コンサート)を主催、音楽教育にも並々ならぬ情熱を注いでいた。JOCは煌めくような若い才能を数多く輩出し、今日でも世界各地でJOCの演奏会が開かれている。
聴かせてくれたのはJOCで英才教育を受けている子供達の演奏だった。早く用件を済ませるために「なかなかですね」などとご機嫌を取ったら、「わかるか。じゃあもう一曲な、今度のは12歳だ」。
結局3時間も4時間もチビッ子音楽家の演奏を聞かされて、気が付けば日もとっぷり暮れて、新幹線の最終便も危うい。
「そろそろ失礼しないと…」と切り出すと、ようやく「お前、何しに来たんだ。用件があったんじゃないのか」と話を聞いてくれた。
そんなやり取りが何回かあって、ついには社名変更を認めてもらった。
「川上天皇」と恐れられたワンマンぶりにはさすがに手を焼いた。いわゆる難物である。NHKのインタビューを受けたはいいが、前の週に放送されたNHKの番組がいかに低劣であるか、語り始めたら文句が止まらなくなって、ついにはNHKも取材をあきらめて帰ってしまった、なんて逸話もざらにころがっていた。
私もよく怒られたが、それでも根気強く話を聞いているうちに邪魔にはならなくなったようで、その後長らくお付き合いさせてもらった。
次回は《大前版「名経営者秘録」(5)——川上源一さんの「後ろを向いて報告しろ」》。11月12日更新予定。