悲観的なことを言う人のほうがウケる

楠木 その「解釈」というのが僕の言っている「センスがあるとはどういうことか」という話に近いのだと思います。ナニナニ理論とかマルマルの法則とかいう話になると「合っている・間違っている」というふうに、客観的に特定できるわけですが、広木さんがおっしゃられた解釈とか、僕の考えるいい戦略の基準というのは、それが常に正しいものじゃなくて、一つの考え方なので、そうした考え方が全員から好かれるということはありえないと思うんですよ。好みの問題なので。

ストラテジストにさよならを
[著]広木 隆(幻冬舎)

誰かがメチャメチャ怒ってクレームを書いてくるというのは、きっと別の誰かが好きになってくれているということです。逆に全員から好かれるということは、誰からも好かれないということに等しいので、むしろ「こういう人に嫌われたかったんだよ」とポジティブに受け止めるようにしているんですけども。ストラテジストのお仕事ではそういうことってあんまりないですか?

広木 いや、ありまくりですよ。すごくわかりやすい例を言うと、深刻ぶって、危機を語るほうが圧倒的に受けますね。欧州債務危機とか世界経済の減速とかを深刻な顔で言うほうが、頼りになりそうだと思われる。逆に、こんな状況でも株は上がっていくと思います、などと言おうものなら能天気に聞こえるし、無責任と思われる。ストラテジストに限らず、悲観論を言う人のほうが、今の社会では受けるような気がします。

楠木 広木さんの本にも出てくる、行動ファイナンスの「プロスペクト理論」でも、人間、損をするときの苦痛のほうが、得をするときの満足よりも相対的に大きいといいますからね。

広木 そうなんです。同じ振れ幅でも、心理的には非対称になっているということです。100万円儲かったら最初はうれしいので、満足度は一気に上がります。だけど、次にもう200万、もう300万儲かっても、最初のような満足が得られなくなってくる。一方、100万円の損をしたときの苦痛は、得をしたときの満足の幅よりも大きい。戻るときも同じで、100万円の含み損が戻ってチャラになったときの苦痛の解消度合は最初に感じる苦痛よりも緩やかなんです。経済的には、100万の損がなくなるのも、新しい銘柄に投資して、そこから新たに100万円儲けるのもまったく同じです。ところが、人間の心の感じ方はそのようにリニアになっていない。ゆえに、含み損を抱えたままにずるずるひっぱってしまう。こういう心のメカニズムみたいなものを自分で把握しておくと、より合理的な決定が下せると。

楠木 自分の利得でいうとマイナスになると痛みが大きいのに、聞きたい話はネガティブな内容であると。

ストーリーとしての競争戦略 [著]楠木 建 (東洋経済新報社)

広木 そういうことなんですよ。やっぱりダウンサイドを恐れているわけです。得してうれしい気持ちより損する深刻さのほうが勝っている。だからダウンサイドの警告を発してくれる人のほうがウェルカム。

楠木 なるほどね。おもしろいですね。

広木 あと、もう一つ言いますと、個人投資家の場合は、売りで儲ける方より、買いで儲ける方が圧倒的に多い。買いで儲かると自分の手柄なんです。買いで下がったら誰かのせいにしたいから、「おまえ、上がるって言ったじゃないか」ということで、強気なことを言う人間が責められるんです。まあ、少しでも不満のはけ口に使っていただけるのであれば、それはそれで……。

楠木 そうすると、世の中に安定して存在する投資家のニーズというのがあって、そのニーズに合わせて、ストラテジストの方が割とネガティブな言説を出し、またそれに投資家が食いついて……という循環みたいなものが発生しませんか。

広木 そうですね。いろんなパターンがありますね。相場が上がっているときに敢えて逆のことを言う人もいます。なぜかというと、少数派になるとメディアに取り上げてもらいやすいからです。メディアに取り上げられるのが、自分の名前が売れるが仕事と思っている人は、それはもうマイノリティになるほうを選びますよね。少数意見をいうほうが露出は増えますから。メディアは、強気論から弱気論を公平に見せようとします。強気相場で弱気論の人は少ないので、必ずメディアに呼ばれます。これを戦略的にやっている人もいます。あるいは自分の意見をまったく変えない人。「強気でならす〇〇さん」というように一種のブランドにしている人もいますね。相場って上がったり、下がったりするものなので、ずっと強気ということ自体おかしいのですが、壊れた時計でも1日のうち2回は正しい時間を指すように、同じことをずっと言い続けていればいつかは当たります。

楠木 それにしても、結局、需要があって、それに応えようとするという、供給側の行動が、今みたいな相互作用を起こすわけで。

広木 そうですね。