退院時にお礼の品をいただいていたのも今は昔

もちろん、医師に謝礼を渡そうとする患者さんやご家族の多くは、特別扱いしてほしいわけではないでしょう。古くからの習慣やマナーだと思っていて失礼がないよう、あるいは純粋に厚意でお礼をしたいだけだと思います。もう時代遅れの習慣で、今では受け取ることはできませんが、昔は確かに金品ではなく、お礼の品をいただくことがよくありました。退院時の菓子折りは最たるものでしょう。入院前や手術前なら対応をよくしてほしいという下心があるのかもしれませんが、退院時なら純粋に感謝の気持ちの表れでしょう。

私が研修医の頃のエピソードですが、変わったものをいただいたことがありました。同僚がパン工場にお勤めの患者さんから段ボール箱いっぱいの菓子パンをもらったのです。研修医はだいたい腹ペコでしたので、医局に置いていたら1日も経たずになくなりました。そのほか、一人では食べきれないほど大量の生エビをいただいた同僚が、自宅で食事会を開いて研修医仲間に料理をふるまったこともありました。その食事会がきっかけで結婚した同僚もいます。

ご遺族からお礼をいただくこともありました。長らく私が診ていた年配の男性が亡くなられたあと、ご家族がご挨拶に来てくださった折、故人の持ち物であった洋酒をいただきました。病気がよくなったら飲もうと思われていたのでしょう。私には洋酒の良しあしはわかりませんが、おそらく高価なものです。これは突っ返せるわけがありません。ありがたくちょうだいしました。やはり長く診ていた年配の女性が亡くなったのち、故人の作品である刺繍ししゅうをいただいたこともありました。光栄なことです。桜の咲く風景を描いた心のこもった素敵な刺繍です。今でも家に飾っています。

夏の和菓子
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患者さんの贈り物を受け取るという「臨床医の極意」

日赤医療センターの化学療法科部長の國頭英夫(ペンネーム:里見清一)先生の著書『偽善の医療』のなかに「贈り物は喜んで受け取るべきである」という章があります。医師は、患者さんからの贈り物を「受け取ってもよい」のではなく「より積極的に受け取るべき」だというのです。

この本には、たとえば診察室や病室で患者さんから菓子や果物をすすめられたときに医師は「決して断ってはならず、礼を言ってもらった上で、その場で食べなければならない」と書かれています。これが「臨床医の極意」なのだそうです。どうして極意なのかというと、患者さんの立場に立って考えてみるとよくわかります。自分が差し出した食べ物をお礼を言って快く食べてくれる医師と、せっかくの厚意をむげに断る医師とでは、どちらが信頼できるでしょうか。患者さんからの厚意を断るのは、ある意味では失礼です。気を悪くするどころか、怒り出す患者さんもいらっしゃるぐらいです。

お菓子でもお金でも、厚意を断るのは失礼であることは変わりありません。昔は、孫にお小遣いをあげるような感じで謝礼をくださるお年寄りがいらっしゃいました。医師がにっこり笑って嬉しそうに受け取れば、患者さんも幸せを感じたことでしょう。