はじめてドラマで演じられた秀吉らしい秀吉
そして第1位。これは豊臣秀吉(ムロツヨシ)の圧勝だ。
百姓に生まれ天下人まで上り詰めた秀吉には、明るい愛されキャラのイメージがあった。だが、秀吉の好戦的性格や、人を処分する際の仕打ちをみると、狂気を抱えた人間だったとしか思えない。
その点、ムロツヨシの秀吉は「史上最恐」などとも評されたが、この悪役の秀吉こそが、はじめてドラマで演じられた秀吉らしい秀吉だったと思う。
ルイス・フロイスは『日本史』に、権力を奪取してのちの秀吉についてこう書く。
「彼は自らの権力、領地、財産が順調に増して行くにつれ、それとは比べものにならぬほど多くの悪癖と意地悪さを加えて行った。彼はこの上もなく恩知らずであり、自分に対する人々のあらゆる奉仕に目をつぶり、このようなことで最大の功績者を追放したり、不名誉に扱い、恥辱をもって報いるのが常であった」(松田毅一・川崎桃太訳)。
この『日本史』に記された秀吉の「悪行」だけでも、寒気がするほどだ。秀吉の兄弟と名乗る人物が大坂城を訪れれば、連れとともにことごく惨殺し、茶々の妊娠を揶揄する落首が貼られれば、警護の者を全員処刑し、関係者が逃げ込んだ地域も皆殺しに。大坂城には300人の妾を囲い、美人がいれば家臣の娘もみな召し出させ、妾が暇をもらったのちに結婚していれば、夫ともども鋸引きに処する。
また、拾(のちの秀頼)が生まれたのち、関白職を譲っていた甥の秀次を切腹に追い込み、その正室や側室、侍女や遺児ら三十数人を惨殺した事件など、日本の刑罰史上に例をみない残虐さだったと思われる。
第39回「太閤、くたばる」で、秀吉は生まれたばかりの拾を前にして、「寧々、茶々、これに粗相した者がおれば、だれであろうと成敗してよい」と言い放った。また、諸大名に朝鮮への再出兵を命じ、「歯向かう者は老若男女僧俗にかかわらず、なで斬りにせえ」と鼓舞した。ムロツヨシの狂気をはらんだ表情と口調もふくめ、上に挙げた事例とのあいだに違和感がなかった。
文句をいいたくなる点も多かった「どうする家康」だが、迫真の秀吉を見られただけでも価値があったと思っている。