できるだけ焼き立てを届けたい

現在は岩手県全域のスーパーに卸しており、生産量も過去の比較にならないほど大きい。それに対応できる仕組みを作ったのが福田社長だった。

約四半世紀前に家業に入ると、まずは商品の品質管理をテコ入れした。それ以前は細い電熱線でパチンと切った、細い閉じ口の簡易包装だったが、大手メーカーと同じくピロー包装に変えた。

「手で袋を押すとプシュッと空気が抜けるようなものでした。配達途中に小さい穴が空いて、そこから虫が入ることがよくあって、しょっちゅうお詫びに行っていました」と福田社長は苦笑いする。

もう一つ、製造体制を見直した。スーパーからの注文は前日までに締め切り、その日の夜から翌朝にかけて製造するようにした。以前のように鮮度の高いパンを配送することはできなくなったものの、通常、大手メーカーであれば、前日夕方には製造を終え、夜中に仕分けし、朝に配送するため、それよりも半日は後ろ倒しとなる。「できるだけ焼き立てを届けたい」という福田パンのこだわりは今なお生きている。

このような仕組みづくりを徹底したことで安定供給が可能になり、現在は福田パンの売り上げ全体の6割をスーパーが占めるほどに成長した。

今もできたてを届けることにこだわる
撮影=プレジデントオンライン編集部
今もできたてを届けることにこだわる。矢巾店の工場から市内各地に卸している。

ソウルフードの誕生

福田パンが盛岡のソウルフードと呼ばれるようになったのは20年ほど前のこと。地元のミニコミ誌『てくり』が特集記事を組んだことがきっかけだったという。「恥ずかしさもあるけど、そう言ってもらえるのは嬉しい」と福田社長は素直に喜ぶ。

盛岡あるいは岩手には他にも代表的な食べ物はある。その中で福田パンが地元の人たちに愛されるソウルフードになったのは明確な理由がある。その一つが学校販売だ。

先述したように、創業してからすぐに地元の高校や大学の売店にパンを卸していた。福田社長が高校生の時は、自身が通っていた学校にも従業員が販売に来ていて、毎日飛ぶように売れていた。

「コンビニがまだない時代。みんな“早弁”するから、昼になるとお腹が空いて、うちのパンを待っているわけですよ。3時限目と4時限目の終わりの2回販売で、500~600個は売れていました。昔はほとんどの高校のお世話になっていたので、うちのパンを食べたことのない学生はいなかったはず」

学校の売店で子供たちの胃袋を掴んだ
撮影=プレジデントオンライン編集部
学校の売店で子供たちの胃袋を掴んだ。福田パンでは昔から「コッペパン」を「フランス」と呼ぶ。