全国紙を掲げながら、地方を軽んじる
朝日での19年間、神戸総局を皮切りに、広島総局、大阪本社社会部、大阪本社生活文化部に所属してきた。19年間一貫して地方勤務だった。それは自分が望んだことだった。
記者として、小さい声に耳を澄ましていたいと思うわたしにとって、地方こそが、この国のさまざまな課題や矛盾が見える現場だと感じてきたからだ。何もかもが東京の理屈で決められていくこの国。歪みは地方で起きる。朝日で取材生活を続ける中で、とかく地方を下請け扱いする本社に対しても常に反発心があった。
例えば、被爆者援護行政。被爆者援護に関する検討会が厚労省で開かれる。厚労省担当記者が忙しくて手が回らないから取材するならどうぞ、という指示が本社から降りてくる。広島から出張して取材して記事にする。
だが、その記事は社会面には載らない。地方の記者が取材した記事だからだ。本社の記者が書いた記事なら社会面に載る。そんなことが普通に起きてきた。一方、地方から特定の取材先に取材すると、勝手に取材するなと記者クラブ所属の記者から怒られる。こういう類いのことが19年間何度あっただろうか。
南記者とわたしが抱いた絶望感は重なる
原爆の日、総理大臣に同行してやってくる番記者たちは、核政策ではなく、広島には何の関係もない政局の質問を総理大臣にぶつける。彼らの視界に地方は入っていないのか。
地方取材網や地方記者に対する上から目線はすなわち、東京(中央)が地方に向ける上から目線そのものだ。地方はそれをシビアに感じとっている。
東京という「中央」の視点だけで日本は語れない。全国に取材網と販売網があってこそ「全国紙」だ。そんなに地方を軽視するなら、もう「全国紙」という看板を捨てたらどうか。組合で、あるいは上司との面談で、ことあるごとに「地方取材網をこれ以上削減しないで」と訴えてきたのだが、ことごとく無視され続けた。
わたしが朝日を離れ、最終勤務地である広島でフリーの記者としてやっていくことにしたのは、個人の人生の選択に過ぎない。だが、この数年新聞業界、とりわけ朝日を中心に起きていることを見るにつけ、わたしが退社を決断するに至った背景は、組織の、そして業界の、普遍的な病巣そのものであるように思えてならない。
それはいみじくも、南記者が、記者としての新たなキャリアを積む場所として琉球新報を選んだ理由とも重なる。