地方に子育て中の女性記者がキャリアを積める場所はない
そんな中、小学校に上がったばかりの娘と保育園児の息子を連れてコロナの渦の中に飛び込むかのごとく東京へ行けという転勤命令を受け入れることができなかった。せめてコロナが落ち着いてからではだめかという交渉を3カ月近く続けたが、聞き入れられなかった。
「子連れ転勤は大変だよね。わかるよ」。子育てを丸投げして朝から晩まで会社にいる本社の男性幹部に言われた。あなたに一体、子育てをしながら働く女性記者の何がわかるというのですか。
「女性記者が子育てをしながら、地方でキャリアを積むことはこの会社ではできないのか」。本社の担当者に聞くと、答えはNOだった。紙面では女性活躍なりジェンダー平等なり謳っているのに⁈ 要は、社会部、経済部といった編集内の選択肢に加え、広告、事業など編集外にも各種業務がある東京本社でキャリアを積め、ということなのだ。
だが、わたしは、新人記者が最初に配属される地方にこそ、働き方の多様性やジェンダー平等が必要だと思ってきた。そうでなければ、こんな時代に新聞記者という仕事を選んで入社した若い記者、とりわけ女性記者が希望を持って働き続けるビジョンを描けない。
人手不足に残業の過少申告、支局の閉鎖…
地方総局はだいたい、単身赴任のおじさん、妻子同伴できるおじさん、本社未経験の若手、そして定年間近のおじいさんばかり。とてもじゃないが働き方の多様性やジェンダー平等などはない。だから、子連れで地方赴任をと言われたときには使命感を持って受け入れた。2017年のことだ。
子育てしながらの地方勤務は想像以上に過酷だった。西日本豪雨、河井夫妻の選挙買収事件、選挙、そして毎年の高校野球、原爆の日……。本社のように潤沢な人員がおらず、残業時間は月100時間を余裕で超える。
子どもを置いて夜遅くまで会社にいられないわたしの場合は持ち帰り残業が常態化した。すると、所属長は記者に無断で勤務表を書き換えた。本社から転勤してきて「地方版なんて誰も読んでねえ」と豪語した男性だ。告発した記者は会社を辞めた。
地方からは加速度的に人員が剝がされていく。この4年で、約200人が地方総局・支局から消えたという。わたしが暮らす広島でも、最初の赴任となった2005年当時は、広島、福山、呉、東広島、三次、三原、尾道に取材拠点があったが、今となっては広島と福山だけだ。