新聞業界はおっさんと中央志向の目線で動いている
振り返ってみて、そのキーワードは「地方」「地域社会」、そして「生活者実感」「当事者意識」ではないだろうか。
男性至上主義と東京中心主義は、ニアリーイコールだ。男性、そして東京(中央)。圧倒的に力を持つ側の理屈であらゆることが決められ、力を持たない側が疲弊していく。「ジェンダー平等」「民主主義」など、どんな立派な看板を会社なり業界が掲げていても、それらと実態は乖離している。わたしが地方の女性記者として、朝日に見てきたそんな構造は、全国に取材拠点がある大手紙であればどこも、似たりよったりではないかと思う。
この会社、あるいは業界は、「生活のケアを丸投げできる家族がいて、24時間365日上司の命令に振り回されることができる『おっさん』」、そして、「『わがまち、わが生活』という意識がまるでない『中央志向』の人たち」の目線で動いているのだ。そして「傍観者報道」が蔓延している。
市民社会に関わろうとすれば「活動家」呼ばわり
2、3年ごとに転勤がついてまわる全国紙記者は、どんなまちに行っても、その地域に深く根ざして暮らすことがない。だからその地域の課題も的確に理解できない。大きな見出しが立つような「ネタ」や、バズりそうな話題こそ追えど、そのまちが抱える課題を問題提起し、そのまちの読者とともにじっくり考えていく、という気概はほぼ見られない。地域の高齢者福祉、子育て施策、学校教育といったエリアになると、まるで当事者意識もない。
全員がそうではもちろんないが、本社の記者たちが書く記事は問題提起の力は大きいが、「地域」をすっ飛ばして「国」を語り、とかく主語が大きくなりがちだ。地域社会や市民社会に分け入って草の根の取材をするような記者を「活動家か」と冷笑する空気さえある。
記者は記者である以前に、地域社会に根を張って生きる一人の生活者。そんな当たり前が蔑ろにされている報道では、読者が離れていくのは当然ではないだろうか。