生きているかぎり試してみることができる

人生も先のことはわかりません。だから、試してみることが必要です。生きていれば何でも試してみることができます。私は、生きる意味は、案外、そんなところにあるのではないか、と思っています。

「何のために生きているかわからない」

誰でも一度くらいは生きることの意味を考えることがあるのではないでしょうか。

もし、私がそう問いかけられたら、こんな答えをします。

「何のために生きているかなんて、誰にもわからないと思うよ。ただ、生きていたらいろいろ試してみることができる。試してみたらいいことがあるかもしれないじゃないか。そうだとしたら、長生きしたほうがいいってことにならない?」

具体的な話をしましょう。パートナーができないという悩みを持つ人がいるとします。

しかし、そこで、「恋人がいない人生なんてつまらない。こんなことじゃ生きていたって……」と自ら人生に幕を下ろしてしまったら、パートナーができないままの人生になってしまいます。

しかし、これから10年間、月に一人ずつアタックしたら、120人のパートナー候補の人に対して“試す”ことができます。

その中にこちらに好意を持ってくれる相手がいる可能性は、決して低いものではないはずです。

拒絶されたとしても、相手はこちらに悪感情を持たない

人生に打率は関係ないのです。120打数1安打。120回試してみて、一人素敵なパートナーがゲットできたら、それで幸せではないですか。

何も高打率をめざす必要はありません。草食になって尻込みしないでどんどん試せばいいのです。

「そうはいっても、フラれるのは精神的にもしんどい。それが悩みにもなってしまうと思うし……」という人もいるかもしれません。

たしかに、フラれたら少しはへこむでしょう。

しかし、拒絶されたとしても、多くの場合、相手はこちらに悪感情を持っていないのです。自分が誰かから好意を打ち明けられたときのことを考えてみてください。

相手がタイプでなかったとして、その人を嫌いになったり、うとんじたりするでしょうか。

思いを受け容れることはできなくても、そうはならないと思うのです。「好きだ」「愛している」といわれて、悪い気がする人はいません。

一輪のバラを女性に渡す男性
写真=iStock.com/Panupong Piewkleng
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それどころか、受け容れられないことを、多少は申し訳なく思うのが人間でしょう。

嫌悪感を持つとしたら、拒絶したにもかかわらず、いつまでも付きまとってくるとか、ストーカー行為に及ぶといった場合です。