必ず誰かが見守ってくれている
もうひとつ、この言葉に込めた大切な思いがあります。
私たちはつい、自分はひとりきりだと思いがちです。しかし、苦しいときや思いどおりにいかないときでも、必ず誰かがどこかで見守っていてくれます。
その誰かとは、人智を超えた偉大なるなにか。サムシング・グレートとでもいうべき存在かもしれません。その偉大な存在に、私たちは生かされています。
この言葉には、そのことへの感謝と祈りを託しているのです。
また、苦しみをひとりで背負うのではなく、時には、その存在を頼りにしてもいいのではないか。そんな思いも込め、読む方が少しでもホッと心を休ませてくださるようにと、いつも祈りつつ書いています。