受け入れて前に進む力――ラジカルアクセプタンス
再評価の過程において、まずは状況や感情を認識し、「受け入れる」ことが大切であると綴ってきましたが、この過程にも実は名前がついています。「ラジカルアクセプタンス」というものです。
忘れもしない羽生結弦選手の北京オリンピック。2度の金メダルに輝いたのち臨んだショートプログラムでは冒頭の4回転サルコウが踏み切れずに1回転に。思わずあっと声を上げてしまう場面でした。
そうなったのは、他の選手が練習時にトウジャンプをしたときにできた氷の溝にスケートの刃がはまってしまい、踏み切れなかったことが原因でした。
羽生選手はこのハプニングにも動じることなく、その後のプログラムを完璧に滑り切りました。3度目の金メダルに、そして国内外のファンからの期待がかかるオリンピックで、最後まで作品を完成させることに集中し、自分の美学を貫いた羽生選手の技術と精神力には尊敬の念を贈りたいです。
羽生選手は以前から「自分の運命は自分で決める」というオーナーシップを持った姿を一貫してファンに見せてくれていたと思います。その生き様に勇気をもらったのは私だけではないでしょう。
どうして羽生選手はあんなにも強くしなやかな考え方ができるのでしょうか。ここで私は「ラジカルアクセプタンス」という言葉を思い浮かべます。
これは心理学用語で、自分のコントロール下ではないことを良い/悪いの評価を下すことなく、「起きたこと」としてアクセプト(受容)することを意味します。
アクセプトすることは、諦めることでも、許容することでも、無理に忘れようとしたり、起きたことから湧いてくる感情を抑えつけたりすることでもありません。「起きたことは変えられない」という事実を認識し、受け入れて前に進む力というものです。
渋滞でも「目的のない時間を楽しもう」と思えるか
ベストコンディションで臨むべく、選手たちはオリンピックに向けて、私たちが計り知れないほどの努力をし、コンディションを整えて来ています。にもかかわらず自分のミスではなく、たまたまできてしまった溝にはまり、1回転ジャンプになってしまった。
自分のコントロールが利かない状態に陥った場合、原因となる人や物事を探そうとしたり、事実を受け入れられず「ありえない」と否定したくなることはとても自然なことです。
しかし「過去を変えたい」「やり直したい」と望む気持ちが強ければ強いほど、精神的にはとても消耗し、強い抑うつや不安が伴います。
羽生選手が意識していたかどうかは定かではありませんが、私はあのわずかな時間で「ラジカルアクセプタンス」を行っていたと解釈しています。ありのままを受け入れ、前に進む力「ラジカルアクセプタンス」は、アスリートに限らず私たちにとっても有用な思考法の一つです。
例えば、渋滞にはまったときに、「あっちの道に行っていれば」と後悔したり、動かない周りの車にイライラしクラクションを鳴らしたりしたくなることもあるかもしれませんが、どんなにもがいても渋滞の中にいる事実は変わらないのです。
その事実を受け入れると、「この時間を使って好きなラジオ番組を聞いてみよう」「一緒に車に乗っている人と会話を楽しもう」あるいは「目的のない時間を楽しもう」と、自分の考えをただ赴くままに漂わせる時間を過ごせるかもしれません。受け入れることで前に進めることもあるのです。
私が受けたハラスメントの例でも、自分のコントロール下ではない仕方がないことを「仕方がない」と受け入れたことで、不思議と「ここから先の運命は自分のものだ」というオーナーシップが働いたのでした。
逆説的ですが、「仕方がないこともある」と認識することで、それ以降はむしろ自分のコントロールが利くと気づけたのです。