※本稿は、上昌広『厚生労働省の大罪 コロナ対策を迷走させた医系技官の罪と罰』(中公新書ラクレ)の一部を再編集したものです。
「積極的疫学調査」は学術調査とは性格が異なる
日本ではウイルスのゲノム解析の結果が、変異対策などに使われるのではなく、「積極的疫学調査」という日本だけの独特な仕組みのために使われた。例えば、千葉県衛生研究所は、2023年5月8日になってもホームページ上の「新型コロナウイルスのゲノム解析について」という項目の中で、「ゲノム解析の結果は、積極的疫学調査に役立てられます」と説明している。
積極的疫学調査という言葉を、新型コロナの流行後に初めて聞いたという人もいるかもしれないが、実は、感染症法で規定された法定調査だ。研究者の科学的な関心から実施される学術調査とは性格が異なる。実施要領は、厚生労働省の内部研究機関である感染研が作成し、都道府県の関係部局と連携し、実際には保健所が積極的疫学調査を行う。この積極的疫学調査こそ、隔離中心の古い感染症対策の象徴であり、差別を助長する諸悪の根源だったように思えてならない。
社内恋愛、不倫、風俗通い、空出張がバレる人もいた
この積極的疫学調査は、保健所を中心に次のような流れで進められた。保健所は、新型コロナ感染と診断した医師から連絡が入ると、感染者に電話して過去2週間、どこへ行って誰に会ったか、その行動を細かくヒアリングし、濃厚接触者を探してPCR検査を実施した。そこで新たな感染者が見つかった場合には、その周囲の濃厚接触者にもPCR検査を実施し、芋づる式に感染者を探す。このように感染ルートが分かる集団のことを、厚生労働省の医系技官や専門家会議・感染症分科会の面々たちは「クラスター」と呼んだ。積極的疫学調査の目的はクラスター対策であり、法的な強制力のある行政調査であるため、言いたくないことがあっても拒否できなかった。
日本が特殊だったのは、感染者の周囲の濃厚接触者にPCR検査を実施しただけではなく、当初は過去2週間も遡って「後ろ向き」の調査が行われたことだ。海外でも濃厚接触者に対する検査が実施されていたが、その多くは、「接触アプリ」を活用して判明した濃厚接触者を「前向き」に調査しただけで、過去が問われることはなかった。日本では、過去2週間の行動とマスクの着用状況を洗いざらい調べられ、本人に了解を取ったうえで家族や職場の人に本人が言った行動が本当かどうか“裏を取る”作業まで行われた。そのために、こっそり社内恋愛していた、不倫や風俗通い、空出張をしていたなどの秘密がばれてしまう人もいた。