世界的な大発見をした同僚の画工も東大から左遷された

しかし植物では、陸に上がったコケやシダの段階では、まだ精子が認められるものの、花を咲かせる高等な植物では、オシベを離れた花粉がメシべに到達すると、メシベのなかに花粉管を伸ばし、精子がなくても受精できる仕組みに進化してきた。ところが、イチョウやソテツには精子が発見されたため、これらの裸子植物は、コケやシダと、花を咲かせる被子植物の中間にあるという、植物系統の位置づけが、初めて明らかにされたのである。牧野は、その平瀬について次のように書き残している。

松村任三(1856-1928) 植物学者(写真=PD-Japan/Wikimedia Commons)
松村任三(1856-1928) 植物学者(写真=PD-Japan/Wikimedia Commons
従来は平凡な松柏科に伍していたイチョウが、たちまち一躍して、独立してイチョウ科ができるやら、イチョウ門ができるやら、イヤハヤ大いに世界を騒がせたもんだ。そして、この精虫を始めて発見した人は、東京理科大学植物学教室に勤めていた、一画工の平瀬作五郎であって、その発見は実に明治29年(1896)の9月で、……こんな重大な世界的発見をしたのだから、ふつうならむろん平瀬氏は、易々と博士号をもらえる資格があるといってもよいのであったが、世事魔多く、底には底があって、不幸にもその栄冠をかち得なかったばかりでなく、たちまち策動者の犠牲となって、江州は琵琶湖畔にある彦根中学校の教師として遠く左遷される憂き目をみたのは、あわれというも愚かな話であった。(『草木とともに』)

『近代日本生物学者小伝』によれば、平瀬が大学を退職して彦根中学校へ就職したのは、精子を発見してからわずか1年後である。世界的な業績をあげながら、なぜ退職したのか。その理由はよくわからないが、大学のなかで平瀬の研究を高く評価する人々と、助手の画工が教授を上回る立派な業績をあげたことを快く思わぬ人々が対立したため、平瀬は居心地が悪くなって「自分さえ身を引けば丸く納まる」と判断し、身を引いたのではないか、とされている。

牧野は学歴がなくても不撓不屈の精神でエリートをしのいだ

俵浩三『牧野植物図鑑の謎』(ちくま文庫)
俵浩三『牧野植物図鑑の謎』(ちくま文庫)

当時の東大教授はエリート中のエリートであり、牧野や平瀬は非エリートである。現在の官庁や大会社にも学閥や、キャリアとノンキャリアの対立があるが、非エリートやノンキャリアにとっては、平瀬のように考えて行動するのもひとつの生き方である。

しかしまた、牧野のように「氏に気兼ねをする必要も感じなかった」と、不携不屈の実力主義で頑張るのも、またひとつの生き方である。日本の社会全体のなかでは、非エリート、ノンキャリアの方が圧倒的に多いから、多くの人にとっては、牧野のように「横綱と褌かつぎ」の勝負に堂々と立ち向かう姿は、自分では実現できない夢をかなえてくれる代償満足を与えてくれることになり、また弱者が勝ってほしいとの判官びいきに結びつく。

牧野が大衆的な人気を保ち続ける鍵のひとつが、ここにあるといえよう。

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