無料アバターが有料アバターユーザーにマウントを取られる

すでにオンラインゲームや一部のSNSでは、無料で獲得できるデフォルトのアバターを使っている人は、課金してデザイン性の高いアバターを使っている人から下に見られる、といったことが生じている。アバター共生社会でも同様に、無料アバター利用者に対して、デザイン性の高い有料アバター利用者が、マウントを取ることが予想される。

フリービーグラティスとプロモーションを示すフリーサイン
写真=iStock.com/stuartmiles99
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また、これもオンラインゲームで対戦を行うときなどに生じている問題だが、通信速度の遅いプレイヤーは速いプレイヤーから嫌がられ、マシンスペックが足らずに遅延が生じているプレイヤーは見下されることがある。大量の通信量が発生し、高度なマシンの処理機能が必要になるメタバース空間では、アバターでも同様の差別が生じうる。

アバターは高速なネットワークにつながっていないと、ディープラーニング技術が使えないため、お金のかけ方が(人工)知能の差として、生身の人間以上にはっきりと出る。したがってアバターが経済格差解消に貢献するとは一概には言えない。

もちろん、現実世界にタブレットを置いて、アバターを表示して接客するくらいならば、現行のマシンスペックと普通のWi-Fi環境で十分問題なく稼働する。

ただそもそも、専門性や趣味性の高い領域において、自己顕示欲の強い者が攻撃的になることは、人間社会の常として避けがたい。悪質な発言は自動でミュート、ブロックできる技術も発達していくだろうが、そういう行動に及ぶ人間は得てして規制をかいくぐってでも悪口を言いたがる。だから横暴を完全に予防することは難しく、規制側とのいたちごっこになるだろう。

「ロボットには何をしてもいい」という文化圏もある

差別という観点から言えば、そもそも人間とアバターに差をつけて接し、アバターを差別する者も現れるだろう。僕は世界各国で学会に参加したり、講演を行ったりしているが、ヨーロッパでは「ロボットを奴隷にしたい」と公然と言われたことが一度や二度ではない。

ユダヤ教やキリスト教の考えでは、人間を作れるのは神のみである。人間が作れるのは言葉を有せず、言われたことをやるゴーレムだけだ。そこには使役する/される側、主人/奴隷のような線引き、階級意識が強烈にある。そういう社会では、アバターは人間以下の存在として扱われる可能性がある。「アバターやロボットは人間よりも下の階級の存在だから破壊しようが罵詈雑言をぶつけようが、何をしてもいい」という扱いを受けるかもしれない。