こういう話、吉祥寺ではみんな、あんまりしないね

ハモニカ横丁の一角を占める「中央通り商店街」入口。看板には18店が名を連ねるが、うち6店(ハモニカキッチン、モスクワ、ミュンヘン、フードラボ、アヒル、てっちゃん)が手塚さんの店。

【三浦】手塚さんは以前、吉祥寺がちょっと息苦しくなったから、このままサーカスみたいに別のまちに行っちゃおうかなとか言ってたじゃないですか。ぼくはそれは面白いなあと思ったんだけど(笑)。

【手塚】そう。ある日突然消えると、何か意味が残っていいんじゃないの、と。この街は月窓寺が土地を持っている。商店主たちはそこに借地権者として店を出していて、闇市から今日まで一回儲けたけれども、今では自分たちの商売がうまくいかなくなって、みんな貸しているわけですよ。この200~300メートル四方の中の借地権者は、ほとんど家賃で食っている。そういう人たちが武蔵野商店会連合会で、商店をやっていないくせに仕切っている。

全然働かずに地代だけで食べているって、異様な事態だと思うよ。ここもそうだけれど、一所懸命やると結局、家賃が上がるんだよね。元の黙阿弥になっちゃう。司馬遼太郎はずっと日本の土地は問題だって言っていたけど、じゃあ、具体的にどうするんだよと思ったね。ぼくは土地を金融商品にしちゃ駄目なんじゃないかと思うんだ。

結果的にどうなるかというと、大家さんは生産手段を持たずに貸しているだけだから、とりあえず借りてくれないと1銭も収入がなくなる。そうすると、多く家賃が取れるほうに貸しちゃうんですよ。借りられるところは安定したフランチャイズの店とか、大きい企業ばかりになって、多様性がどんどんなくなる。

多様性が消えていくと、街って生きのびることが出来ないと思うんです。ぼくは、若い奴らは知性が働かないぶん、ひじょうに多様性があると思っていて……若い奴らは変なことをやる。三浦さんが『高円寺東京新女子街』で書いている店なんかを見ると、「お前、何考えてんだ?」っていう店がたくさんあって面白い。貧乏そうだし。ああいう変なものが全部消えていくと、街はやっぱり生き延びられないんじゃないかって思う。

三浦さんのあの本は面白かったですよ。今、高円寺あたりで起きている事態っていうか、やっぱり何か、おかしいんだよね。そう簡単にわからない。

【三浦】すでになくなった店もあります(笑)。

【手塚】そういうのが面白い。あの本を見ていると人間って変だなと思うよね。店の中に森ガールがいるなんて知らなかったもん。行って見てみたんだけれど、ぼくが中を覗くと不審者みたいに見えるんだよ(笑)。そこも面白いなと思いました。

こういう話、吉祥寺ではみんな、あんまりしないよね。みんな真面目なんですよ。横丁の話をしても、安全安心がどうのという話になる。ジェームズ・ボンドが安全安心に暮らす映画なんて面白くないでしょう? 人間はそうじゃないものを求めているはずなのに、みんな簡単に安全な方に収奪されていく。頭の回路がどうにかなってる。だって現実には戦争もあるし、いろんなことが起きているのに、ただ生きればいいやって感じでしょ。「安全と安心っていう視点から、やっぱり横丁はもう少しインフラを整わせなきゃいけない」とかって話になっちゃう。ぼくなんか燃えたらいいのにとか、半分思っているのに(笑)。

3.11のときのこの横丁の状況を見ていて思ったんだけど、飲食店をやっている人間は大変だった。電球だって提灯だって看板だってつけなきゃいけないのに、みんなで一緒に「大変だ、大変だ」とか言って。

ぼくは万全を期してぜひ停電をやってほしかったんだよ。ロウソクを用意して、闇市のようにロウソクだけで料理をつくって食べようと思っていた。でもやらないんだよね。江戸時代なんかそれでやっていたわけだもんね。ちょっといいじゃん、原点に帰ればと言っていたのに。

■月窓寺
げっそうじ。正式名称「曹洞宗雲洞山月窓寺」。武蔵野市最大の寺院。なお、吉祥寺には「吉祥寺」という寺はない。1657(明暦3年)の「明暦の大火」で焼け出された江戸本郷元町(現在の文京区本郷一丁目)の諏訪山吉祥寺の門前町住民が、幕府の移転都市計画に沿って移住開拓し、旧地にちなんで付けた地名が「吉祥寺」。月窓寺・安養寺・光専寺・蓮乗寺(通称「四軒寺」)は開拓移住の頃から吉祥寺の中心となり、現在に至るまで吉祥寺繁華街の大地主。
■武蔵野商店連合会
正式名称「武蔵野市商店会連合会」。武蔵野市内に約50ある商店会の連合組織。
■司馬遼太郎
1976年に刊行された松下幸之助らとの対談集『土地と日本人』(現在は中公文庫収録)ほかの作品で、司馬は土地の私有化(と金融商品化)を日本の大きな問題として指摘し続け、解決策としての公有化にまで言及している。
■『高円寺東京新女子街』
三浦展さんとSML(女性建築家ユニット)の共著。2010年、洋泉社刊。1980年代は「住みたくない街」の上位にランクされていた高円寺が、「ゆるいのに個性的で、住みたい街」へと変貌した謎を、徹底したフィールドワークで解いた本。