日本もかつて宗教をすごい勢いで「前線」に進出させた

蝦夷地は北海道と改称され、開拓使が設置された。開拓使初代長官の黒田清隆は北海道の開発に本腰を入れて乗り出していく。新政府は御雇い米国人ホーレス・ケプロンを顧問に据え、1872(明治4)年までにアイヌの土地を収用してしまった。

北海道開拓が進むに従って、東北や北陸を中心とする内地から人々がムラ単位で入植。その際に、寺院や神社が一緒にくっついていった。

宗教施設は、移民のコミュニティを強化する役割があり、故郷の象徴でもある。また寺院は、開拓中に死んでいったムラ人の弔いという重要な機能も担った。

北海道進出には、浄土真宗教団が新政府の政策に協力する形で真っ先に手を挙げている。1869(明治2)年6月、東本願寺が北海道開拓を政府に申し出て、許可された。東本願寺はすぐさま、横浜から船で調査隊を派遣した。

さらに浄土宗の増上寺が、1869(明治2)年9月に日高地方や色丹島などの開拓を認められ、入植を始めた。北海道はあまりにも広く、また新政府の予算も潤沢ではなかったため、地方の藩や有力寺院などに土地を分け与えて支配させたのだ。これを分領支配という。

鵜飼 秀徳『絶滅する「墓」:日本の知られざる弔い』(NHK出版)
鵜飼 秀徳『絶滅する「墓」:日本の知られざる弔い』(NHK出版)

開拓した色丹島は、正式に増上寺の寺領として組み込まれた。だが、寺領であったのはわずか1年ほどであった。

北海道開拓に続き、大陸への植民地化政策でも同様に、寺院が積極的に進出していく。その最初は、京都の東本願寺(真宗大谷派)だ。1876(明治9)年に、上海に別院を建立した。その後、北京などにも寺院が建立された。

日清戦争以降、太平洋戦争まで、日本仏教界は政府と歩調を合わせるかごとく、シベリア、樺太、台湾、朝鮮半島、満州、中国、南洋諸島に進出する。

たとえば、浄土真宗本願寺派(総本山・西本願寺)は終戦までに368の寺院を建てている。曹洞宗は255カ寺を開教した。日本仏教界での全体の開教数は不明だが、ゆうに1000カ寺は超えるとみられる。植民地政策に乗って、すさまじい勢いで宗教が「前線」に進出していったのである。

上海に建てられた東本願寺別院(明治41年)
撮影=鵜飼秀徳
上海に建てられた東本願寺別院(明治41年)

宗教施設を設置することは、その地が主権の及ぶ場所であることを国際社会に主張するための既成事実となる。宗教は人間活動の基盤そのもの。寺や教会はコミュニティの核であり、占領した側の「定着」を意味するからだ。

北方領土ではソ連侵攻後、日本人集落にあった寺が全て取り壊された。代わって最も立地環境のよい場所に、ロシア正教会の教会が建てられた。筆者も教会の内部を見学したが、そこには金などで装飾がなされた荘厳な空間が広がっていた。そして、時の鐘が集落にこだましていた。ロシアは日本に北方領土を返還する気など、さらさらないのだと、感じた次第だ。

色丹島の教会の司祭
撮影=鵜飼秀徳
色丹島の教会の司祭
色丹島の教会
撮影=鵜飼秀徳
色丹島の教会

宗教の戦争利用は、いつの時代も世界各地で行われ続けていることではある。しかし、本来、宗教は人々の救済、恒久平和を目的とするものとはいえ、現実の権力と宗教との結びつきを見ると、虚しさが込み上げてくるのも正直なところである。

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