植民地支配で権力者は「宗教施設」を利用する

だが、「陸上」ではそうはいかない。北方領土はわが国固有の領土だが、日本の無条件降伏後の1945(昭和20)年8月28日にソ連軍が択捉島に上陸。9月1日に国後島と色丹島、同月3日には歯舞群島に侵攻した。以来、返還交渉は一進一退を繰り返しながらも、現在まで膠着こうちゃく状態が続いている。そして、昨年ウクライナ戦争に突入したことで日本との関係性は戦後最悪の状態になり、今年のビザなし交流も中止になっている。

ロシアのプーチン大統領は今夏、北方四島への侵攻を完了させた9月3日を「軍国主義日本に対する勝利と第2次大戦終結の日」と定める法案に署名し、成立させた。明らかに日本に対する牽制である。

そして、貝殻島灯台でも、8月下旬から異変が起きている。貝殻島灯台は、元はコンクリートの灰色の地肌をみせていた。しかし、24日には作業員が乗ったボートが横付けされ、ペンキで白く塗られてしまった。続いて26日には、灯台上部にロシア正教の「八端十字架(8つの先端を有する十字架)」が、翌27日にはロシア国旗が掲げられた。

この十字架をめぐっては、サハリンのロシア正教会が宗教画「イコン」とともにロシア軍に手渡したとの報道もある。

国後島のロシア正教会
撮影=鵜飼秀徳
国後島のロシア正教会
イコン画がかけられた国後島のロシア正教会の内部
撮影=鵜飼秀徳
イコン画がかけられた国後島のロシア正教会の内部

貝殻島灯台は、わが国による保守点検ができないため、2014年からは消灯が続いていた。しかし、ここにきて再点灯されたことも確認されている。北方領土の南限である貝殻島灯台の「ロシア化」、つまり実効支配を国際的に見せつける目的がありそうだ。

それは、ロシア正教のシンボル、八端十字架の設置から読み解くことができる。なぜなら、これまでの歴史を振り返れば、植民地支配において権力者は「宗教施設(や宗教用具)」を、うまく利用してきたからだ。

かつて日本も、元はアイヌの地であった北海道や、中国大陸や南洋諸島においての植民地政策で「寺院」を利用してきた。植民地に寺院を建立していくことを「植民地開教」という。

その嚆矢こうしは明治期の北海道開拓である。明治新政府が樹立すると、アイヌの土地の完全なる植民地化に舵を切る(同化政策)。