やりたくない仕事
失敗はいくつもしてきていますが、振り返ると決断が遅れたときに起きていた気がします。
どんな時に決断が遅くなるかというと、例えば人事異動です。とりわけ、ある役職に就いている人をそのポストから外す、本人の意に反する配置転換をするということは本当に辛く、やりたくない仕事です。やりたくないからついつい決断が遅れる。
少し前の話になりますが、あるグループ会社のトップを代えるのが遅れたことがありました。配置転換であれば「交代してもらいますが、別の仕事でがんばってください」と言えますが、会社のトップの場合はサントリーグループから離れてもらうこともあるため、本人への思いや情も手伝って判断が遅れてしまったのです。トップの交代が遅れると、それに関連する人事異動や事業の判断にも大きな影響が及んでしまう。この経験もあって、現在は経営者である以上、覚悟して向き合わなければならない仕事であると心しています。
仕事人生における最大の失敗
もうひとつ、自分の仕事人生における最大の失敗談があります。先ほど申し上げた通り、サントリーは1963年にビール事業に再参入して以来、長年、シェア最下位の4位で赤字の状態が続いていました。私が入社した後もシェアは10%前後と伸び悩んでいました。
そこに2003年、「ザ・プレミアム・モルツ(以下、プレモル)」が登場します。ビール醸造家が原材料や製法にこだわり「高くても本当においしい高品質なビールを」との思いからスタートしたのですが、当初はそれほど販売に力を入れていませんでした。
プレモルへの注力のきっかけの1つが、05年以降のモンドセレクション最高金賞の受賞です。中味の品質には自信があったので、受賞が後押しとなってマーケティングに力を入れ始めました。
私は06年にビール事業部プレミアム戦略部長に就任し、プレモルのブランド責任者になりました。これを、「鳥井信宏は自らプレミアム戦略部長に手を挙げた」と、カッコいい見方をされることがあります。実際そういう側面も無くはなかったのですが、どちらかというと、そのポジションが空席になることがわかったので、それなら創業家の自分がやった方がいいんだろうなと考えて希望したというのが、事実に近いと思います。
実を言うと06年当時、営業統括本部の部長も務めていたのです。当時、営業側から見ると、どうも事業側と距離があるというか、目線が合っていない印象がありました。それなら、営業と事業それぞれのトップをひとりの人格が担当した方がうまくいくんじゃないかという思いもありました。
ですから、ビール事業部プレミアム戦略部長になった時は、営業統括本部の部長との兼務。二足のわらじを履いた、ということです。