自分の意見を通したワケ

プレミアム戦略部長になった年に、前年比4倍以上の550万ケースを売り上げ、翌07年には951万ケースを売り上げました。はたから見れば大躍進だと思いますが、私にすれば、これは失敗でした。理由は単純で、販売計画が1000万ケースだったからです。要するに、計画未達ということです。

販売計画について譲れない一線があった
撮影=遠藤素子
販売計画について譲れない一線があった

実を言うと、06年末に佐治信忠会長(当時は社長)から、「07年の販売計画は1200万ケースでどうか」と言われていたのです。

話はそれますが、創業家のなかで敬三さん(佐治敬三・故人)やその息子の佐治会長は、熱く夢やロマンを語るタイプ。一方、私も含め長男系(鳥井信宏は、創業者・鳥井信治郎の長男・吉太郎の長男・信一郎の長男)は、比較的淡々としているように見られることが多いです。

そんな会長が「目標は高く1200万ケース」だと。しかし、1200万ケースというのは前年比2倍以上の数字です。

私が目標として掲げたのは1000万ケース。会長の目標とは異なるものでした。なぜなら決まった数字は、全国の営業拠点ごとに「北海道はこれだけ、九州はこれで」と割り当てられ、さらには営業担当者一人ひとりに「あなたはこれだけ」と予算が割り当てられるのです。

トータル1200万と聞いた瞬間に、「絶対に達成できるわけない」と彼らのモチベーションが下がってしまうことは目に見えていました。それどころか、1000万という数字にすら食らいついていかなくなってしまうおそれがありました。ですから、実現性があり、しかも高い販売計画である「1000万ケースをきっちり売ります」という私なりの考えを押し通したのです。

頭をよぎってしまった数字

サントリーでは、毎年1月末に全社のマネジャーが集まる大きな会議が開催されます。私は07年1月末のその会議に合わせてプレモルの販売計画を1000万ケースとした資料を作り、「プレモル1000万ケースに向けて」というタイトルのスピーチをしました。

頭に「ある数字」が居座ってしまった
頭に「ある数字」が居座ってしまった(撮影=遠藤素子)

1200万よりは少ないものの、1000万だって大変な数字です。この高い計画を達成するには酒類の営業部門だけでなく、サントリーグループ全員でプレモルのことを考えなければいけないという話をしました。

その一方で私は、「年間では」「季節ごとでは」「毎月では」と売り上げを頭の中で計算していました。その計算結果は、「ビールの最盛期の夏には他社がこのぐらい、自社はこれくらい売れるから、販促活動をこれだけ入れて、年末には限定品も販売して、可能な限りの手を打って、おそらく940~960万ケースくらいだろう」というものでした。

すると、その数字が私の頭の中に入ってしまったというか、どこかに居座ってしまうことになったのです。それが、07年の「951万ケース」という未達の結果を招いてしまった原因だと私は思っているのです。