ロシア「サハリン2プロジェクト」の裏話
そういう意味でも三井物産にとって「サハリン2プロジェクト」(以下、「サハリン2」)は大きな意味を持つ。サハリン島(日本名は樺太)周辺の石油、天然ガスなど天然資源採掘プロジェクトの総称が「サハリン2」だ。今では、世界的に有名な「サハリン2」だが、無謀な投資の代名詞とされた時期も、あった。
この総額2兆円ともいわれる巨大プロジェクトが実際に動き始めたのは、1994年。英国・オランダのロイヤル・ダッチ・シェル、日本の三井物産、三菱商事の3社が合同で「サハリン・エナジー・インベストメント」を設立したのが始まりである。出資比率はシェル社が55%、三井物産が25%、三菱商事が20%。日本からは三井、三菱の2大商社が顔を揃えるが、「サハリン2」に一番早くから深い関与をしていたのが三井物産だ。
知る人ぞ知るエピソードがある。もともと同プロジェクトは、米レーガン政権時代の“米ソ友好”のシンボルとして、米国側から持ちかけられたものだ。当時、ロシアはまだ誕生しておらず、旧ソビエト連邦の首相といえば開放、改革を推し進めたゴルバチョフだった。
そして、米国政府の要請を受けた米国企業代表とともに、旧ソビエトの仲介役を引き受けたのが、三井物産の米国駐在員だった。彼らがレーガン大統領の親書を携え、クレムリン宮殿にゴルバチョフを訪問したのは、25年前の87年。冷戦下の米ソを仲介し、稀有壮大な国家を跨いだエネルギー開発を実現させた。
06年、世界最大の天然ガス会社、ロシアのガスプロムが「サハリン・エナジー・インベストメント」の株式の半分を取得し、三井物産の持ち株比率は12.5%(三菱商事は10%)と下がった。「エネルギー分野で覇権を目論むガスプロムによって、日本の商社が株を手放さざるをえなかった」とする報道もあったが、事実は違う。三井物産は“今売ったほうが得をする”観点で「サハリン2」の株式を売却したにすぎないからだ。
旧ソビエトの崩壊、動乱のロシア誕生、ルーブル危機など幾多の国際的、政治的な危機を乗り越え、結実した「サハリン2」。当時の三井物産の担当者、幹部たちは、将来的な石油需要の逼迫、天然ガスの需要の伸びを読み、壮大な投資に乗り出した。そして、3.11以後は、20数年前の“読み”が現実のものになった。
自らフロンティアを切り開く“物産DNA”徴するのが「サハリン2」だ。
三井物産のエネルギーの実績、経験の蓄積、投資に対する長期的な視点は、「サハリン3」の開発(三井物産は三菱商事とともに開発優先権を取得)にも生かされている。それは、18年に生産開始予定の世界最大規模の埋蔵量を誇る、モザンビーク沖合のガス田の開発にも表れている。「シェールガス」の投資にも積極的に関与し、現在、米国のペンシルベニア州で進められている案件には、三井グループ全体で約4100億円の投資をしている。
(文中敬称略)
※すべて雑誌掲載当時