ソ連は9月2日、ようやく終戦協定に調印
スターリンは、過大な北海道北部の要求をふっかけたことによって「極東密約」で認められた以上の国後、択捉、歯舞、色丹、つまり本土の一部を手に入れることができた。結局、ソ連の日本に対する侵略に歯止めをかけられるのは、アメリカの軍事力、とくに原爆だった。それによってしかソ連に掣肘を加えることはできなかった。
なお、通俗的歴史家や保守系メディアがひところ「樋口季一郎中将の占守島での戦いが北海道を救った」と喧伝したが、これは事実ではない。スターリンはあくまでトルーマンの拒絶にあって北海道北部をあきらめている。それにユマシェフが北海道占領のために送ろうとしていた艦隊は、占守島など千島占領のための艦隊とは別のものだった。つまり、樋口中将の戦いがどうあろうと、ユマシェフは、スターリンの命があれば北海道占領のための艦隊を送りだしていたのだ。
9月2日、ソ連は他の連合国とともに終戦協定に調印した。これでようやくソ連に日本に対する組織的軍事行動を停止させる枠組みができた。もちろん、そのイニシアチブを発揮したのはアメリカだった。ソ連がこれを受け入れざるを得なかったのは、北海道北部占領を拒絶され、もはやこれ以上軍事占領できる余地はなくなったからだ。ソ連軍はこの3日後の9月5日、歯舞、色丹の占領を完了してから戦闘を停止した。
日本の「終戦の日」は9月2日にすべき
こうしてみると、プーチンが対日戦勝記念日を9月2日から3日に変えようとする本当の意図が透けて見えてくる。彼にとって9月2日は、原爆の力を背景にしたアメリカに、ソ連の日本に対する領土的野心、とりわけ北海道占領、日本の戦後処理への参加、を抑え込まれた屈辱の日なのだ。だからこの日ではなく、9月5日までのどれかの日にしたかったということだろう。
日本としては「終戦の日」は、8月15日ではなく、ソ連にそれ以上の組織的軍事行動をとることをやめさせる終戦協定が結ばれた9月2日にすべきだろう。そして領土に関していえば、8月9日以前の日本の領土、つまり、南樺太、全千島列島の権利を主張すべきだろう。
なぜなら、ソ連が日本にしたことは、日ソ中立条約に反するものであり、他の連合国の同意もない、何の正当性もない侵略だからだ。侵略で得たものを領土とすることはできないとは、スターリンも加わったカイロ会談で確認されたことだ。だから、アメリカは1951年に上院で「極東密約」を批准しない決定をした。イギリスは批准を議会にかけることさえしなかった。
ソ連が日本にした侵略を正当化する根拠がなにもない以上、8月9日以後にソ連軍が軍事占領した地域をソ連が保有するのは不当である。ロシアが対日戦勝記念日を9月3日にするのは勝手だが、それをもって南樺太、千島列島の不法占拠を正当化することはできない。