ソ連を止められるのはアメリカの軍事力だけ

ソ連軍は「ドイツが経験した危険と破壊から免れる可能性を日本国民に与える」どころではなく、ドイツと同じ危険と破壊を、8月15日以降も日本に与え続けた。このため、まったく必要がない、何十万人という死者、何百万人という戦争犠牲者が新たに出た。

実は日本はスイスを仲介として英米と降伏の手続きを急いでいたのだが、スイスは当時ソ連と国交がなかった。だから日本はスウェーデンを通じて降伏することを伝えたが、スウェーデンは日本が降伏することを伝えただけで、ソ連との間に仲介に入って降伏交渉をしなかった。

スウェーデンとしても、ソ連と日本の間で降伏条件についてまったく話し合われていない以上、降伏交渉を仲介することはできなかった。たとえ、仲介していたとしても、できるだけ日本の領土を占領したいソ連はこれに応じなかっただろう。

もともと、日本は英米との終戦交渉の仲介をソ連に頼んでいたのだが、ソ連は領土的野望からこれに応じなかったのだ。スウェーデンはそのことをよく知っていた。ソ連の日本侵略に歯止めをかけられるのは、外交的枠組みではなく、アメリカの軍事力だけだった。

スターリンは「北海道上陸作戦」を中止

8月15日、スターリンは、九州、四国、本州、北海道の日本軍をアメリカ軍に降伏させ、その他はソ連軍に降伏させると伝えてきたトルーマンの電報に対する返信で、北海道北部の占領の許可を求めた。トルーマンはこれを拒否した。「極東密約」になかったからというより、一部でも日本本土の占領を許せば、ドイツと同じく共同占領になり、それにソ連がつけこんでくることは目に見えていたからだ。

トルーマンの拒絶にあったスターリンは8月22日になって「私と閣僚は貴下からこのような回答をいただくとは思っていなかった」と返信し、それ以上この件に関してなにも言わなくなった。やはり、アメリカが原爆を持っていること、北海道と南千島までは制空権を握っていることが大きかっただろう。そのかわり、スターリンは中千島にアメリカ軍の飛行場を作りたいというトルーマンの要求ははねつけた。

『千島占領』(ボリス・スラヴィンスキー、共同通信社)によれば、同日の8月22日、アレクサンドル・ヴァシレフスキー極東ソ連軍総司令官は、ソ連太平洋艦隊司令官イワン・ユマシェフに北海道上陸作戦の中止を命じた。これによって、国後、択捉、歯舞、色丹より南にソ連軍が侵攻する可能性はなくなった。

あるいはスターリンの狙いは、最初から北海道北部ではなく、南千島、つまり北方4島の確保だったのかもしれない。これら4島は、日本とソ連の条約でも、アメリカ国務省の認定でも、北海道、つまり本土の一部であって千島列島の一部ではないとされていた。