米兵に集団レイプされた娼妓の悲痛な叫び
ただ、真金町の「正直楼」の中村ヨシ子(24歳)という娼妓が米兵に集団レイプされたことを語った言葉が、神奈川県知事が内務省へ提出した「大東亜戦争終結ニ伴フ民心ノ動向ニ関スル件」(8月30日~9月5日)に記されているので、ここに書き留めておきたい。
彼女は「慰安所」に集められた女性ではないが、「慰安所」をつくった男性側の「涙の出るほど献身的にやってくれました」という記録とは、全く異なる女性側の思いを代弁しているように思える。
私ハ米兵四人ニ連行サレ約三十名ノ米兵ニ輪姦セラレマシタガ斯ル行為ガ敗戦ノ結果ニ来ルモノナラ 日本婦人全部ハ原子爆弾ニテ最後ヲ遂ゲタ方ガ寧ロ幸福ダロウト思ヒマス。
斯ノ種屈辱ヲ受ケタ婦人ガ他ニ在ルトスルナラバ恐ラク私ト同感ダロウト思ヒマス。私ガ如キ下卑ナ女ニハ自刃スル力モアリマセン。誰ヲ恨メバイヽデセウ(*11)。
遊郭に送られた被差別部落の女性たち
前掲の安浦保健組合は、日ノ出町の海軍工廠工員宿舎を「慰安所」(通称「安浦ハウス」)として開設、私娼172人が集められた。川元祥一の研究では、安浦遊郭へは群馬県桐生市周辺の被差別部落出身の女性たちが多く送られて来ていたという(*12)。差別と貧困、そして部落内での家父長制の犠牲として娼妓に売られることの多い被差別部落の女性たちは、敗戦時に戦勝国兵士へ真っ先に差し出された女性たちでもあった。
占領軍幹部のなかに芸妓遊興を求める者が多かったため、県警は皆ケ作私娼組合と横須賀芸妓組合に対し、「待合茶屋」(芸妓との遊興を目的とする貨席)として5軒を外国人向けに指定し、芸妓70人に接客させた。以上、横須賀では三組合で営業者164軒、「慰安婦」358人となった(*13)。この他、藤沢、平塚、高津、小田原、秦野、厚木でも従来の施設を利用して新規営業をさせている。