「男性は狩猟、女性は採集」という説が流布したのはなぜなのか。名古屋学院大学教授の今村薫さんは「『男は仕事、女は家庭』という固定観念は、戦後、日本経済の高度成長とともに形成されたもので、歴史的に日の浅いものであるといわれる。しかし、この近現代の産業社会における女性の位置づけを相対化することなく、時空間を超えた唯一の真実であるかのように考えたことが、『男は狩猟、女は採集』という定説に縛られてきた原因だ」という――。
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文明人の都合でさまざまに語られてきた

「男は仕事、女は家庭」という現代社会の性別役割分業について、しばしば次のように言ってこれを擁護する人がいる。このような分業は太古の昔からおこなわれてきたことである。現在の狩猟採集民は、社会的分業や社会的階級が最も少ない社会であるが、この社会においてさえ、「男は狩猟、女は採集」という性別分業が見られる。人類の祖先も、男は妻子を養うために遠くまで狩りに出かけ、女はベースキャンプの近くで育児と家事に専念しながら片手間に採集もおこなっていたのだ。これは、きわめて「自然な」ことなのである、と。

アフリカ、オーストラリア、極地方などで現在も暮らす狩猟採集社会については、先進諸国の「文明人」の都合でさまざまに語られてきた。それは、狩猟採集民は、文明にとりのこされた野蛮で劣った人々であるという蔑視から、彼らこそが平和で平等主義を実現させた理想社会に住んでいるといった称賛まで、語る側の幻想を押しつけられたものであった。また、冒頭で述べたように、人類の進化や社会制度の起源を考える際に、たびたび現存する狩猟採集社会が引き合いに出されてきた。

男性中心の研究が多かった

20世紀半ば、サルからヒトへという人類の進化がようやく事実として定着するようになると、狩猟活動が人類の進化を力強く推進したという「狩猟仮説」がまっさきに主張された。狩猟のために武器や道具を使うことが、人類の道具製作や直立二足歩行、脳の大型化などの進化をもたらしたというのである。この仮説において狩猟をおこなう者は当然男性であり、人類の半分を占める女性が何をしていたかについては誰も想像しようともしなかった。

1960年代にはいって、狩猟採集民が実際にどのようにして暮らしているのかという研究が盛んになり、『Man the hunter(人間、狩りをする者)』(1968年)という画期的な論文集が出版された。この中で著者たちは、狩猟採集民の食生活において、植物性食物が動物性のものよりずっと安定的で多くのカロリーを占めていることを指摘し、採集活動の重要性を明らかにしたが、しかし、本全体としては男性がおこなう狩猟活動に焦点が置かれていた。また、題名の「Man」が、「人間」というよりも「男性」を意味していることからも分かるように、当時の狩猟採集民の研究は男性中心の視点に偏ったものであった。