矛盾を矛盾のまま矛盾なく扱う
話は変わるが、ひょんなことから知り合った友人に磯崎憲一郎さんがいる。『終の住処』で芥川賞を取った小説家だ。磯崎さんの最近の『赤の他人の瓜二つ』という小説は本当に素晴らしかった。時間が不思議な流れ方をする小説で、上等な夢を見ているような気持になる。「これが文学の力か!」と思わせるものがあった。ただしエンターテイメント的な意味で「面白い」小説ではない。磯崎さんも読んだ人から「面白くない、よくわからない」という感想がよく寄せられるという。しかし、それが文学というものだろう。「ま、別に面白いものとかわかりやすいものを書こうというわけではないんで……」と磯崎さんは言う。
作品なのか商品なのか。磯崎さんのスタンスは徹底して「作品」に軸足を置いている。彼は純文学以外やるつもりはないようで、仕事としては商社できちんと管理職の重責を務めている(仕事でも何度かご一緒する機会があったが、こういうときの磯崎さんは普通に真っ当なビジネスマンで、「小説家」という感じがまるでしないのが面白い)。一つの折り合いのつけ方である。
小説や映画に限らず、どんな世界でもプロは需要と供給の狭間でこの種のジレンマに直面する。このジレンマを手練手管で克服し、その葛藤の中から成果を生み出すことができるのが一流の仕事人だ。一見して矛盾するものを、矛盾のまま、矛盾なく扱う。笠原はそのことを身をもって教えてくれる。
磯崎さんとは逆に、笠原和夫は軸足を「商品」に置く。しかし「作品」を忘れるわけでは決してない。会社は言う。「売れる映画がいい映画で、脚本なんて客が入るかどうかだけ考えて書けばいい」。しかし、そのとおりやっているだけではプロとはいえない。目の前の需要を全面的に受け入れてしまえば、結局のところどこかで軽んじられるというのがプロの世界だ。笠原このことを見抜いていた。会社のほうも、「お前ら、身勝手な『芸術』作るなよ」と言いながら、どれだけ骨がある奴かを観察しているものだ、と書いている。
プロを志す以上、どんな仕事にもそういう面はある。すべてが矛盾なくぱっぱっと正しいほうを選択できるようなお膳立てがあれば、話は簡単なのだが、世の中そうは問屋が卸さない。だから、プロには二枚腰がいる。会社に反旗を翻してばかりいたら干されてしまう。それでも、たまには会社の意向に逆らってでもおのれの腕前のほどをきっちり見せておく。そうしないと、プロとしての自分の真価や本領が相手に伝わらない。笠原は「これが映画屋の鉄則」と言っている。