また、江戸時代の士農工商の中では、「農・工・商」が経済を受け持ち、「士」だけが武道や学問に励み、知識や道徳をつかさどっていた。『論語と算盤』は、それらは車の両輪であると説き、武家階級が培ってきた知識と官僚的規律を、経済発展の中に取り込むことの重要性を見抜いていた。身分制度のくびきをとかれ、論語と算盤が合体したことで、日本経済にうねりが生まれ、飛躍的な成長を遂げた。実際、渋沢は商業教育にも力を入れていて、現在の一橋大学や東京経済大学、早稲田大学などの設立にも深く関わっている。
ときに歴史には、時代精神を背負った本というのが登場する。ドイツの社会学者、マックス・ウェーバーは主著『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』で、プロテスタントの禁欲主義が、西欧での資本主義の発達と産業革命の勃興を招いた背景であると論じている。この本は、西欧が自らの発展を説明するという役割を背負っていると思う。その点で、渋沢の『論語と算盤』も、著しい経済発展を迎える中で、日本人として市場経済にどう向き合うべきかという役割を背負っている。
この本をはじめて読んだのは、銀行員として歩み始めてまだ数年のころだったと思う。それから、最近に至るまで、「論語」と「算盤」のどちらを重んじるべきなのか、二者択一の構図が常に頭の中にあった。一連の金融危機を経て、本書を再読したことで、「どちらか」ではなく、「どちらも」を考えるべきなのだと、思い至るようになった。
相反する2つの考え方を合一させる第三の方法を模索することは、きわめて重要だ。昨今の金融において主役に躍り出た過度なる「金融資本主義」と経済社会の関係についても、その将来のあり方は同様な方向で新たな道を模索すべきだろう。
産業革命以後、世界経済は産業資本を中心として発展してきた。だが、1970年代に入ると産業革命の母国であるイギリスで、「英国病」と呼ばれる経済の衰退が起こり始めた。国家の成熟が引き起こす問題に対し、イギリスは自由市場を重視し、規制緩和を進めるという「新保守主義」の政策をとった。サッチャー首相による「サッチャリズム」は劇的な効果をあげ、アメリカもレーガン大統領によって「レーガノミクス」が進められた。