かつての大蔵省(現在の財務省)の役人は、ほかの役所からさまざまな「接待」を受けていた。いったいどんなものだったのか。経済アナリストの森永卓郎さんは「私は新卒で日本専売公社(現在のJT)に入ったため、大蔵省の役人の接待に何度も立ち会った。いまでは絶対に許されないようなおぞましい接待にも遭遇した」という――。
※本稿は、森永卓郎『ザイム真理教』(三五館シンシャ)の一部を再編集したものです。
大蔵省主計局との隷属関係
私は1980年に大学を卒業して、日本専売公社に入社した。いまのJT(日本たばこ産業株式会社)の前身の会社だ。
ただ、会社とは名ばかりで、当時の専売公社は、旧大蔵省専売局の時代と、仕組みがほとんど変わっていなかった。その象徴が予算制度だ。
当時の専売公社は、一般会計からは切り離されていたものの、特別会計として、すべての事業活動が国家予算に縛られていた。予算を獲得しないと、鉛筆一本買えない会社だったのだ。
私は、半年間の新入社員研修を終えた後、本社の管理調整本部主計課という部署に配属された。大蔵省から予算を獲得し、それを支社や工場に分配する部署だ。
銀行にもMOF担と呼ばれる大蔵省担当をする部署があるが、主計課の大蔵省に対する服従の度合いは、銀行をはるかに上回っていた。
銀行は自分で獲得した収益で事業を展開することができるが、専売公社は、大蔵省から予算をもらわないと、何一つ活動ができなかったからだ。
そうした構造は、大蔵省主計局と専売公社主計課の間に、完全な主従関係、もっと言えば隷属関係をもたらした。
「大蔵省の言うことには絶対服従」がオキテだった
大蔵省の言うことには、絶対服従というのが主計課のオキテだった。
たとえば、一年の3分の2を占める予算編成期は、常に待機がかかっていた。大蔵省の許可がないと家に帰ることさえ許されないのだ。
もちろん、主計課の仕事は激務だったから、深夜零時くらいまでは、ふつうにやるべき仕事が残っている。問題はそこを超えた時間だ。